アメリカはここ、クリーブランド。

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今年の抱負など語ってみる

あけましておめでとうございます!

はい、あーっという間に新年が明けてしまいましたね。お正月らしいお正月もないまま、さっさと通常通りに戻ったこちらアメリカ。雨が降ったり霙が降ったり、ちょっと生暖かい空気が流れたかと思ったら気温がぐんと下がったり。。。とにかく、よくわからない天気が続いてます🙄。

さて、去年と一昨年はパンデミックということで先が見えず、あまり抱負というものを語りたいと思えなかったのですが、今年は通常通りに戻って来たので少し抱負を語りたいと思います。

ってか、パンデミック中は抱負というか希望は、ただただ健康を祈るのみでしたからねえ。それ以外の贅沢なんかできませんでしたよ。

でも今年はまず心の余裕があります!あれもこれも可能になる社会状況になってますからねえ。だから実は、去年秋あたりからいろいろ模索し始め、行動にも移していたわけです。

そのひとつがこれ。

ダ、ダ、ダ、のダ〜イエット!

去年9月中旬ごろから、なんとダイエットをはじめてました!しかも、失敗せずに5キロも減量に成功したんです!

我ながら今回は頑張ってると自負しております。だって今まで何度失敗したことか。。。😑低糖質ダイエット(low carb diet)に断続的断食(Intermittent fasting diet)と繰り返し頑張ったけど、結局度重なる食欲に耐えられずドカ食いして大失敗!というパターンをずっと繰り返してたんです。

今回成功した秘訣は、ひとことで言って同じやり方に固執しないという事。そして、今だけだから!というような無理な気合いは入れず、これを黙々と継続すると行った禅修行僧のような精神で向き合った事。また、実行することにより心の平和を保ち、幸福を得る事を目的にした事しょうか。

低糖質ダイエットと断続的断食ダイエットのコンビネーションをやってるのですが、以下とりあえず実行してる自分への決め事を箇条書きしますね。

  • 毎晩睡眠をちゃんと取る!これは本当に大事です。睡眠不足だと食欲が破壊的に出ますからね。特に寝不足の時って甘い物を欲するんですよね。それで何度失敗したことか!
  • 毎日30分〜1時間弱のウォーキング(競歩ペース)する!ウォーキングは心と体に爽快感を与えます。ウォーキングした後の達成感がなんとも言えない幸福感が生まれ癖になってます。
  • 朝ごはんは抜くかコーヒー(低糖ソイミルク入り)のみ、または低糖質の食事を少量摂り、11時か12時ごろに食べたい糖質たっぷりの食事を腹八分目に摂り、夕飯は基本的に低糖質の食事だけか、ごくわずかの糖質入り食品を交えて食べる。その日によって、多少デザートも食べていい日も適当に決めてます。
  • 毎日同じサイクルに拘らずに、臨機応変に食事量を増やしたり減らしたり、バラエティに富むメニューにしたりと、とにかく楽しむようにしてます。
  • 心の平和を保つ事に集中する。更年期なので、その日によってホルモンバランスが崩れることもあり、イライラすることもあります。それをとにかく自覚し、心の平和のためにできる事を実行するようにしてます。ストレスは食欲に来ますからねえ。これはホント大事!

 

ということで、今年の抱負の第1号は、このままダイエットを続け、「目標体重の50キロになる事」です!少し欲を言えば、それよりちょっと少ない方が理想ですが、まあ、とりあえず50キロの方が近道なので頑張りたいと思います。

次に抱負第2号なのですが、これも去年の暮れから実行してます。それがこれ。

読書、読書の読書道!

実は約2年前から、地元日本人コミュニティでブッククラブを月1で主催してます。つまり課題本をクラブでそれぞれ読んで来て、ミーティングで本について語るといった試みです。小学校2〜5年生程度の英語で書かれてる児童書が課題本なのですが、これがなかなか超簡単!なわけでもない事😅に気づいたんです。

読む度にわからない単語が必ずあるんです。私、一応アメリカの4年制大学卒業してるんですよ。それなのに、英語力が乏しいことに気づきました。しかも英作文力もかなり寒い。。。これはヤバイ!そりゃあ、プリティーンな息子達にバカにされるわけですわなあ🙄。

そんな流れで、去年の暮れから就寝時に最低30分の読書習慣を実行し始めました。読む本は全て、息子達が過去に読んだ作品です。そして、嬉しいことにワタクシ、この習慣にハマってしまったんですね。とりわけ読書好きなわけではないこの私が、読書って楽しい!って思えるようになったんですよ。

そんなわけで、抱負第2号は「息子達が読んだ本を全て読破する!」という事です。まさに本虫とも言える息子たち。彼らの読んだ本はものすごい量なんで、さておかーちゃん実行できるでしょうか。。。乞うご期待です!

そして、最後になりましたが、抱負第3号です。え?まだあるん?って自分でツッコミたくなりますが😂、あるんですよ〜。一番重要な抱負ですの😁。そう、それがこれ!

再就職に向けて、しゅーっぱ〜つ!

4年ほど前でしょうか。それまでフリーランスでやってたウェブデザイナーのお仕事を完全リタイヤしたのは。。。子供達が生まれて以来、パートタイムではありますが、ちまちまと一応仕事は続けてたんですね。でもこれがかなりキツかった!育児の合間に仕事なんて、ブラック企業勤務みたいなもんですよ。だから、やってるうちに体力の限界を感じ始め、娘が2歳の時についにお手上げ状態になってしまったんです。それで、実質的に仕事はきっぱりさっぱり辞めました。

今年の秋には、息子たちはミドルスクール2年目で7年生になり、娘は小学一年生になります。もう4年前ほど手がかかりません。しかも夫は相変わらず自宅勤務のまま。時間的に融通が利くので、そろそろ再就職の準備でもしようかと考えはじめました。

ということで、今年は「再就職に向けて本格的に準備をしたい」と思ってます。あくまでも準備ですから、再就職までたどり着くかわかりません。それに、キャリアチェンジも視野に入れてるので、そう簡単には行くかわかりませんしねえ。まあ、ゆっくりリサーチしながら、ゴールに向けてコツコツがんばりたいです。

なんだかやけに気合い入った抱負で、長々と書いてしまいましたが、結局のところこれらをまとめて一言で言うとこうなるんですよ。

つまり、「自分のために何かを実行し、自分の幸福のために生きたい!」ということですね。

今まで家族のために尽くして来ましたから、少し手が空いて来たら自分に焦点を当てるのは罪ではありません。いや、私が幸せでなければ、子も家族も幸せになれないわけですよ。だから私にとっては、当然の流れであると思うのです。

本当に長々と書きましたが、ここまで読んで下さりありがとうございます。それでも、書き足りないくらい私はたくさんの希望に満ちてますよー😆。それに今年は、もっと自分にとって意味あるものに時間を注ぎたいので、これからこのブログももう少し頻繁に更新できればと思ってます😃。

そんなわけで、みなさん今年もどうぞ宜しくお願いします👐

みなさんにとって、健康で実りある幸福に満ちた一年でなりますように✌

今日も当ブログに訪問してくださり、ありがとうございましたー😊


*写真は娘がサンタさんからもらったナイトライトで照らした部屋室内の画像。

父との和解

久々に真面目な内容の投稿です。
っていうのも、実はずーっとこのテーマを書きたかったんですよ。そう、ちょっと重い親子のテーマみたいなもの。ずーっと喉の奥に突っかかってたものだったので、自分の人生に向き合う意味でずっと書きたかったんです。

結論から言うと、今まで自分が抱えてた人生の生き辛さは親子関係が原因であり、それを認知し対処できるようになり、最近やっと安定し、幸福を心の底から感じれるようになったと言う事を書きたかったんですね。

私が言う「生き辛さ」とは、自己否定とネガティブ思考が根底にあり、常に自信が持てず、他人も信用できず、負のスパイラルに陥ってしまう事。つまり何か困難に躓いたとき、ネガティブ思考に陥り、そこから這い上がるまで時間がかかる生き辛さです。

それが頻著に酷かったのは、大学卒業後の就職難に陥った時、不妊治療で悩んだ時、そして産後鬱になった時でした。カウンセリングを受けたり、鬱などに関する本や記事を読んだりして、自分なりに対処の仕方を学んだわけです。

さて、なぜにあえてこうやって書きたい!と思えるようになったのか?それはあるエッセイに出会ったのがきっかけでした。そう、それがこれ↓

私、親子をやめました。「親と絶縁」して幸せになれた理由 —アルテイシア (マイナビウーマンより)

言っときますが、記事の題名だけ見て、「え?えっちゃん、親と絶縁したの?」なんて勘違いしないでくださいね。全く絶縁なんかしてませんよ。

とにかく先に記事を読んで頂きたいのですが、自分の生き辛さを明確に言語化してくれてる記事で、肩から力がストンと抜けるくらい納得いく内容だったんですね。そうか、やっぱり自分、ちょっと病んでたんだって。でもそれは自分のせいじゃ無かったんだって。

ってなことで、他人からしたらどーでもいい私の親子関係なるものを語ってみたいと思います。

当ブログをずっと読んでくださってる方ならお気づきでしょうが、私の父は12年前に他界しました。そして父とはあまりいい親子関係ではありませんでした。いや、もしかしたら父はそんな風に微塵も感じもせずに、あの世に行ってしまったかもしれません。

というのも、父の存在に悩まされたのは本人以外の家族だけでしたから。だって、母は癌闘病中の父を献身的に介護し、父が望むように最後を見届けましたしね。娘の私たちも表立って、テレビで観るような激しい対立や確執があったわけでもありません。長女の姉なんかは、父が癌と診断されてから実家近くに夫と住むようにもなりました。私も結婚した時でさえ、とりわけ反対されて親子の縁切りとかドラマチックな事があったわけでもありません。むしろ普通にすんなりと結婚も認めてくれたし、父もどうやらアメリカにいる自慢の娘と人にも言ってたらしいのです。

じゃあ、なぜにあまりいい親子関係ではないのか?それは私が長い間、父の存在に悩まされたからです。それは父が亡くなっても続きました。生前は母も姉たちも同じように悩まされました。父はいわゆる典型的な亭主関白でカンシャク持ち。近代日本では普通にある家父長制度を純粋に守った人でした。そして、いわゆる最近日本でもよく耳にするようになった「モラハラ*」をする人だったのです。

いや、そんなの日本じゃ普通じゃね?なんて思う人は多い事でしょう。むしろ普通過ぎてそれに気づいて無い人も多いかも。だって、つい最近までDV(=家庭内暴力)さえも認知度あまりなかったですしね。だから肉体的DVもなかったのに、親の事をこうやって悪く言うなんて酷い娘とも映るかもしれません。

とにかく、父は世間では明るく人当たりがとても良く、地域のためによくボランティアもする模範的な人でしたが、家庭では家族にモラハラを平気でする人でもあったんです。

そして、父のモラハラがピークを達したのが私が高校入学した頃でした。父と母の喧嘩が毎日絶えず、学校での成績が一気の降下し、以前にも当ブログ記事でも少し触れましたが、アメリカ留学への夢が断ち切られ、私にとってかなり辛い時期でもありました。その時の自分は、とにかく家を出たくて仕方ない!という精神状態であったんですね。

それから、関東で就職を決めやっと実家も出ても、その後夢であったアメリカ留学を果たしても、常に自分に自信なく、なんとなく生き辛さを感じ続けてました。そして夫と運命的な出会いをし結婚を果たしても、なぜか幸福を感じることが出来ず、可愛い息子たちが生まれても、あまりの育児の過酷さに産鬱になり、その後も常にダークサイドに落ちやすい自分がいたのです。

そんな中、鬱関連の書籍を読み漁るうち、アダルトチルドレン**という言葉を知りました。そして、自分はそのアダルトチルドレンだったのかと納得したわけですね。そして、ポジティブ思考の夫や義理家族の影響もあり、少しずつ自分がダークサイドに落ちた精神状態を認知・客観視し、ポジティブ思考にシフトして行けるようになりました。

そして、アルテイシアさんの記事に出会い、なんだかすっかり気持ちが軽くなったんですよね。面白い事に、父に対する気持ちの変化も起こりました。とにかく嫌いで仕方なく、たとえ少しでも良い面あってもそれを認めたくない自分がいたのですが、ここ最近では、子供の頃に見た父の笑顔や楽しい思い出が夢にまで出てくるようになったのです。

とはいえ、きっとこれはアルテイシアさんの記事だけが、変化をもたらしたわけではないかもしれません。今3人の子供達の親になり、子供達と毎日やりとりをする度にいろいろ考えさせられます。自分が経験した辛い思いを子供たちにさせたくないという願いが強いのは確か。同時に自分の親を客観視できるようにもなったという自分自身の変化も、大きく関連してるのかもしれませんね。

そして、冷静にこう考えるようになりました。父もきっと機能不全家族で育ち、モラハラがピークを迎えたあの時、彼も鬱状態だったのだろうなと。(事実、当時の父は長年勤めた会社を自主退職したばかりだったから。)

とにかく、そんな自分の気持ちの変化を私はこう勝手に呼んでます。

父との和解。

父が亡くなった時、母がこう言ってました。
「お父さんが息を引き取ったとき、なんかもう愛しくてね。抱きしめたくなったのよ。」と。
この言葉が今でも強く脳裏に残ってて、思い出す度になんとも言えない気持ちが湧き上がって来るんですね。

また、娘が引き出しにしまってある指輪を取り出して遊ぶ度に父を思い出すんです。それは母が若い頃に父からもらった指輪で、母が最近譲ってくれたものでした。「ほら、えっちゃん、小さい頃この指輪欲しいって言ってたでしょ?」って言いながら。子供ながらに二人の間にある「愛」というものを見て憧れたのかもしれません。

全ての子供は生まれた時から、両親には仲良しでいて欲しいと願ってます。たとえ子供がそう直接言わなくても、家庭は安心できる唯一の場所であるから、愛し合ってる両親を見て子供は心底安心できるんです。

だから父が母に送った指輪を見ながら幸せな気持ちになり、今やっと自分は安心できたのかなと思ったりもしてます。

これからこの先いろんな事が起こり、その度に落ち込んだりすることがあると思います。それでも対処の仕方を得た今、たぶん昔のような自分にならない自信はあるかも。それよりもなによりも、全体的に40過ぎたら人生ずいぶん生きやすくなりましたしね。

とにかく、ここまで長々とこのブログを読んで頂きありがとうございます!
ウケ狙いもなんの落ちもない下りになりましたが、このブログを読んだ誰かが少しでも共感を得れたのなら幸いです。


*モラハラ(モラルハラスメント)とは、身体的な暴力ではなく、言動や態度といったモラルによる精神的な苦痛を相手に与える、DV(ドメスティックバイオレンス)の一種です。(引用元:https://ricon-pro.com

**アダルト・チルドレン(Adult Children:以下AC)とは、子どものころに、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そしておとなになった人たちを指します。子どものころの家庭の経験をひきずり、現在生きる上で支障があると思われる人たちのことです。それは、親の期待に添うような生き方に縛られ、自分自身の感情を感じられなくなってしまった人、誰かのために生きることが生きがいになってしまった人、よい子を続けられない罪悪感や、居場所のない孤独感に苦しんでいる人々です。(引用元:http://www.yamanashi.med.or.jp/tsuru/onepoint/onepoint17.htm

人生まだまだ冒険が続く

実はずーっと書きたいネタがあったんです。
というのも、実は去年の8月で在米20年が過ぎたんですね。そこで、20年という節目ということで、なんとなくこの20年を振り返る何かを書いてみたいな〜とぼんやりと思ってました。

そんなときタイムリーにこんな記事↓を最近見かけましてね。
「若者も年寄りも、冒険に出かけよう! でも、まずは準備から…」— アメリカはいつも夢見ている@Cakes

筆者であるエッセイスト・渡辺由佳里さんのメッセージに深く共感を覚たわけです。同時に、そうだ!自分もブログに書きたい!という思いが湧いて来たものだから、今回久しぶりにちょっと真面目で長めのブログ記事を書いてみます。

エッセイストの渡辺由佳里さんと言えば、以前ここでも言及してますが、実は私、密かにファンでしてね。Newsweekで彼女が執筆している記事に出会って以来、最新記事などを追いかける目的でツイッターでよく追いかけるようになったんです。

とにかく今回出会った記事を読んで頂きたいのですが、ものすごく頷ける内容だったんですよ。最近自分が考えてたことをうまく表現してると言う点でかなり納得いく内容でした。というのも、渡辺さんは文中こんなことを言っておられます。

私を含めて、現在海外で暮らしている日本人の多くは「冒険」の経験者だ。バックパックひとつの旅だけでなく、異国に留学することも、転職も、結婚も、状況によってはリスクが高い「冒険」である。冒険をした人たちは、たいがいの場合、他人に「冒険をするな」とは言わない。なぜなら、冒険したからこそ現在の自分があることを知っているからだ。

「冒険したからこそ現在の自分がある」

この言葉は本当に真理だなと思います。

渡辺さんほど輝かしい人生を歩んでるわけではないので、ここで自分を重ねて語るのはおこがましいかもしれないけど、少なくても似たような経験をし、今の自分があるということに共感を覚えずにいられませんでした。

私も子供の頃から絵と英語が好きで、いつかその道に進みたいと思ってました。私の母は父親を幼い頃に亡くし貧困家庭で育ったにも関わらず、子供達の自由な発想を大事にしてくれる理解ある人でした。一方父は、国際貨物船に乗り一年に3ヶ月くらいしか家におらず、教育熱心であった反面、子供達を自分の思い描いたレールに乗せようとコントロールする人でもありました。

そして、英語が大好きで留学したいという私の夢は、高校時代の進路決定時にあえなく崩れ去りました。国立大学に進んで欲しいと願った父は、それ以外の選択は無いと私に宣告したのです。つまり留学に出す金はないと言われたのです。どうしても諦め切れなかった私は、「だったら自分で賄おう」と密かに決意し、高校卒業後は千葉県で就職し、家賃5000円だった社員寮に住み込み、毎日退社後に英会話教室に通ったり、6畳部屋で一人TOEFLの勉強を夜な夜なしながら、ひたすら貯金にも明け暮れました。そしてついに4年を過ぎた1998年8月、念願だったアメリカ留学を果たすことができたのです。

そう、あれは人生初めての冒険だったわけですね。私自身のための、私だけが欲を満たすだけの冒険です。誰のためでもなく、親のためでもなく、自分だけの冒険です。

その後、日本に向かう飛行機の中で今の夫と出会い、更なる冒険が続きました。大学卒業後に結婚はしたもの、ドットコムクライシスで就職難に合い、その後数年は迷走時代と言っていいほど人生で一番悩んだ時期でもありました。詳しくはあとでこの辺も別記事で書きたいのですが、挫折というのはこの時期十分味わったように思えます。

その後、かわいい双子の息子たちを授かり、乳児時代の双子育児の厳しさも味わいましたが、今はただ自分を育ててくれた人生最高の冒険であると強く認識してます。だって、多くの人が経験できるようなことじゃないですからね。そして、そのおかげで「育児」に対する自信が付き、大きな自己固定感を得たのは言うまでもないです。

今2歳半になる娘と小学2年の息子たちの育児に毎日明け暮れてますが、自分は今までの人生で最高の冒険を謳歌中だと自負しております。そりゃあ、落ち込むことだって、失敗することだってありますよ。楽しいだらけの冒険じゃないけど、総合的に言って今が一番スリリングな冒険かもしれません。

一方、息子たちが生まれてからフルタイムで仕事はしてませんが、友人たちと協力し合ってコミィニティサイトも立ちげました。私はこれも予定になかったプチ冒険でもあると思ってます。やりたいから作って、みんなの反応を観察して、いろいろ考えたり、嬉しいフィードバックをもらって喜んだりとプチ冒険だらけ。つまり、私なりに地味に冒険してるわけですね。

渡辺さんは、記事最後をこう綴って締めくくってます。

どうせリスクがある人生なのだから、リスクとコストをきちんと把握したうえで、自分の人生を豊かにする冒険の旅にどんどん出かけてほしい。若者だけでなく、年寄りも。生きている限りは冒険適齢期だ。

まさに「同感する!」以外に言葉が見つからないメッセージです。

これから先やりたいことはたくさんあります。つまり自分の人生をもっと豊かにする冒険です。メジャーな冒険としては、娘が学校にあがったらフルタイムで就職すること。そして子供達が巣立つ頃には、大学に戻って修士課程も勉強したいという願望もあります。もっと小さいプチ冒険もやりたいことはたくさんあるけど、どの道実現するにはリスクもあるし、そのための準備も必要です。

それでも、今は漠然と「きっとできる」という気持ちが大きいかも。それは、今まで経験した冒険が自分を育て豊かな人生を作ってくれたから。いわゆる自信というものなのかもしれないけど、きっと自分を肯定し信じることはこの20年で得たものなのかもしれません。

冒険はやろうと思えば、誰でもできると思う。たとえそれが地味なプチ冒険でも、やることに意義あるし、なによりも心を豊かにしてますものね。それと日本であろうと、海外であろうと関係ないですからね。

だから、みなさんも一緒にプチ冒険しましょう!

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