アメリカはここ、クリーブランド。

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国際結婚を語ってみるなりしてみた

実はワタクシ、国際結婚というものをしてます。
あ、知ってたって?笑

いや、でも考えてみると、今まで「見て見てー!あたし国際結婚してま~す♪」みたいな事を語ったことはほとんどないかも。ってか、プロフィールとかでも、「国際結婚」という言葉をあえて使いたくなかったっちゅうか、避けてたっちゅうかそんなカンジでありました。

っていうのも、世間の期待を裏切りたいという天邪鬼体質だし、普通のおっさんとのラブラブ日記~♪なんて、誰も見たくね!

。。。でしょ?

いや、その前にラブラブもなにもあったもんじゃ無いし、その昔あった漫画「ダーリンは外国人」みたいなオチもない普通って、他人から見たら退屈のなにものでもない。

それにね、ここでラブラブ生活なんてドヤ顔で書いて、その後どっかの会社みたいにあっさり破綻とかしたらマジ笑えないっしょ。だからあんまりそーいうの書く気にもなれんかったっちゅうか、それよりも大切なものが日常にあるっちゅうか、そんなカンジであります。

一方最近ツイッター上に誰かが書いた国際結婚テーマブログをリツイートしたら、これがけっこうクリックされてて、あらま!みんな興味あるんね~と言った印象を持ち、だったら試しに書いてみるべ?ってな気持にもなったんですね。

なんてワタクシ、浅はかな人間なんでしょう!

いやホント、国際結婚ってね、簡単じゃあないですよ。これだけは世間の期待通りかも(笑)だって、言葉の壁に習慣の壁だもんね。。。でもね、続ける意義はあるし、コミュニケーションさえちゃんとやってればなんとかなるもんですわい。

最近見かけるブログで知ったけど、なにやら世間では今でも「国際結婚」というものに憧れる人が多いらしいですね。それに「待った!」と克を入れるベテラン経験者の声とかあって、なんだ、20年前となんも変わらんではありませんか~と思ったり。

そこで、ここだけの話ですが、ワタクシ。昔から日本人と結婚する気はさらさらありませんでした。だって、小学6年生から映画雑誌買い漁って、ハリウッド映画にのめり込んで、雑誌「留学ジャーナル」を片手に「アメリカ行きたーい!」って、目をキラキラさせてた女子が日本人と結婚したいなんて思うわけないっしょ?それに今どきの若者言葉でいうと、いわゆる肉食女子でありましたから、自分の伴侶は自分で決める!選ばれるんじゃなくって、自分が選ぶ!といった鼻息洗い女子が、日本人男子に相手にされるわけないっしょ?

素敵な「外国人」(この言葉あまり使いたくないけど)との出会いを期待してないって言ったら嘘になるから、なにげに探してたのは否定しないけど、日本では全くと言ってそんな機会がなかった残念な人。。。それが、ワタクシ。でも、そんな憧れもって何が悪いん?と開き直ってるのが今のワタクシでもありまする。

要はどんなきっかけで出会って結婚しても、うまく行けばそれでいいと思うんですよ。自分の場合、たまたま結婚したのがアメリカ人だったけど、結婚自体は日本人同士でも一番難しい人生の課題じゃありません?事実日本でも離婚は増えてるし、夫婦間の問題っていろんなメディアでもよく目にするわけですから、国際結婚だから、日本人じゃないからっていう枠組みは、ワタクシ個人的見解から避けたい議論であります。

まあ、確かに子供もいたり、日本じゃない土地の上に、家族兄弟もいない環境にいるというシチュエーションは、破綻したときにリスキーではあるけどね。だからって、恋愛に熱くなってる本人はそんな先のことなんか考えないし、そんな助言を誰かが言ったとしても、立ち止まって深く考えるような人はまず居ないんじゃないかな〜と。そんなこんなを考えれば、やっぱり国際結婚っていわゆるリスキーゲームですよね。まあ、それも長い目で見れば、なにげに面白かったりするのも正直なところです。

で、結局なにが言いたいのかというと、男を見る目を超えて、人間を見る目はやっぱり研ぎ澄ましておきたいスキルのひとつじゃないかと思いまする。今恋愛中の若い子がそこにいて、もし助言を求められたとしたら、このオバハンはそう言うかもしれんけど、まあ、それも年を重ねて得るスキルでもあるわけで、助言する事自体ナンセンスかも(おい!)。それより、そもそもそんな助言を求めて来るような子は、自分を良く知ってて人間を見る目があるから心配なんて要らんのでしょうな〜。

先にも書いたけど、国際結婚も普通の結婚と同じ。たとえ破綻したとしても、それで人生終わりじゃないから、別にそれはそれで人生経験の一幕という形で、とにかく次に進むしかないんですよ。そこで、一番肝になるのは周りのサポートの方じゃないかなと思うんですね。パートナーとの悩みがあったとき、同じような境遇にある友人たちに囲まれて、気軽に悩みを聞いてくれたり、はたまたド付いてくれる仲間は、海外で国際結婚をしていく上で凄く大事なんじゃないかって。

人間を見る目、言い換えれば、洞察力とでも言うのかな?人に依存しない確固たる自分さえあれば、そんな洞察力も自然と養われるんじゃね?ってなカンジで偉そうに語ってますが。。。どうやらこのオバハンは、今年で結婚15年を迎えるようです。

けっ、まだまだヒヨコやん、わだす(私)。
でもこの先15年、たぶんイケるんちゃう?

。。。と、根拠無き自信に溢れるオバハンなのでした。

で、結局なにが言いたかったん?笑

セルフブランディングについて考えてみた

最近よく考えるのが、これ。

自分のセルフブランディングってどうよ?

なぜそんなことを考えてるのかというと、このブログの先行きを考え出したから。

一応ワタクシ、お仕事でウェブデザインをやっております。(あ、知ってた?笑)

ウェブデザイン、つまりウェブサイトをデザインし構築する作業って、まず最初にブランディングを確立しないと先に進めない。それなんで、ブランディングについて考える機会が多いんですね~。クライアントによく、その概要からそれによって得るベネフィットまで一通り説明したり、マケーティング戦術みたいなカジリを語ってみたりしてね。ちなみに、ブランディングって言っても、普通の一般人にはピンと来ないから、私はいつも「ウェブサイトでなにを発信したいの?なにを訪問者に伝えたいの?」って切り出してますが、詳しくはちゃんと説明してるサイトがあるので、そちらをご参考にどうぞ。

さて本題に戻って、自分のセルフブランディングやらこのブログの先行きやらなんですが、いったい自分はこのブログをどうしたいのか?ってなことを掃除機かけながら思い立ったのでした。(あ、またくだらんことを!笑)

いや、実は前からずーっと思ってたんですよ。このブログをリニューアルしたいな~と。いや、したいな~じゃなくて、実は2年くらい前から、ちらっと裏でちまちまと新しいデザイン作ってたりしてましたが、完成もせずに絶賛放置中であったのでした。

ほら、カリスマブロガーだし、毎月PVうん百万だしさ~。

。。。んわけない

つまり、そんなわけないから、ユーザアンフレンドリーなブログだけど、「まあ、えっか。読む人少ないし。」ってなカンジでずーっとネグレクト続行中だったのでした。

なんともデザイナーという肩書きに相応しくない振る舞いでしょうか。プロ意識なんてあったもんじゃない。

とはいえ、人気ブロガーとかプロデザイナーとか、いわゆる書いて見せて稼いでる人たちって、やっぱすごいですよね~。ブランディングがしっかりしてるし、見栄えもすげーかっこええ!普通の素人ブロガーでも、ランキングサイトで上位を占めしてる人たちもそう。ちゃんとセルフブランディングが確立してます。そういうカッコええ人たちのサイトを見ると、ワタクシもついちょっとだけ仲間に入りたいな~と目をキラキラさせてしまうのです。

で、このブログのブランディングってどうよ?ってな話に戻るんだけど、そもそも自分を売り出す事が苦手な自分に果たして可能なことなんだろうかと、一方で考えてしまったりするのであります。だって、あーやってブランディング確立してる人たちって、世間一般の話題の流れに沿って、世間一般が追う求めるような事を書いてるし、なによりも皆さんに読んで欲しいから、読者に対する対応も行儀が良い。今どきの若者言葉で言うと、神対応ってやつ?(いや、なんか違うかも。。。)

それに比べてこのブログ、読者と交流はあってないようなもんだし、なによりも書いてる目的が自己満足に尽きるから、行儀良いも悪いもあったもんじゃない。ってか、そんな議論以前のレベルであって、書き出して自分と対話してるみたいな場所でもあるから、沢山読者があってもなくても良い、世間にとってはあまり意味を成さない存在でもありまする。

あ、ってことは、そもそもブランディングなんて要らんちゃう?セルフブランディング?これがブランディングじゃあーりませんか?

。。。と、今この記事書いてて、松田聖子さん風にビビっとひらめいてしまいました。

世間一般が思いっきりスルーする内容を普通のオバハンが呟く地味なブログ!

これで、どや?

。。。と、一人ドヤ顔になって、この記事を書き終わるところです。

さて、いったいなにが言いたいのか、自分でもわからないくなったんですが、ただ単にどーでも良いことを吐き出したかったようです。
おそらく中間部分から読んでない人が多いかもしれませんが、ここまで読んで下さったそこのあなたに感謝感激アメアラレ!やっぱり誰かにかまってもらえると、2時間かけて書いた甲斐があって嬉しいもんですな。

これから寒くなって引き篭もるようになったら、少しは時間ができるかな?そうしたら、リニューアルも不可能じゃないかもね。。。そう、プロらしく!

いや、普通のオバハンらしく、パンツのゴムのようにゆるーく、お腹のたるみのようにやんわりと行きたいと思う金曜の夜でした。

自慢か否かは、読み手の精神状態による

私の日課はツイッターのTLを眺めることなんですが、その大きな理由はニュースや面白い記事を見かけるから。自身のつぶやきやフォロワーとのコミュニケーションはその次なんで、もしかしたら使い方がマジョリティユーザーと違ってるのかもしれませんね。まあ、そんなことはどーでもいいんですが、とにかく興味深い記事を見つけたので、それについて書いてみます。

その記事は、これ。
「中年とSNSーなぜフェイスブックは恥ずかしいのか 酒井順子「センス・オブ・シェイムー 恥の感覚 ー」 – 酒井 順子」—blogos.comより

まずは、こちらの記事を読んでもらいたいんですが、とにかくこの記事は核心を突いてる面白い記事だと思います。とはいえ、ところどころ賛同できない点があるのも正直なところです。

私もFB使ってますが、筆者ほど強い羞恥心があるわけじゃないんで、たまーに写真やこのブログのリンクを貼って、フレンドたちに構ってもらおうとしてます。そう、自分の中で「構って欲しいちゃんがいる」と意識して、投稿してるわけです。ブログもそうですが、誰かが読んでくれるから、たとえ自分の中で「自己満足」と定義していても、書きたいという意欲が沸き立ちます。このブログもFBもそうだけど、「全てのエッセイ(=自身のなにかをネット上に公開すること)は自慢である」という筆者の意見は否定できません。ただ、私が違和感を感じる理由はこれ。

自慢か否かは、読み手の精神状態による

ということです。これは私自身の経験からなんですが、自分がある意味「満たされてない」精神状態だと、他人の華やかな私生活がうっとうしく感じるんですね。あれを買った、どこそれへ行ったとか、自分には関係ない生活のオンパレードがFBだと、これでもかー!ってなくらいTLに流れて来ますよね?毎日育児に追われて、まともな大人と話す機会は旦那だけの生活をしていれば、そりゃあ精神的に満たされてませんって。

一方、不思議なことに、自分が満たされてるときは、他人のいわゆる「子供や自身の自慢話」に「あら、いいね~。」なんて思っちゃったりして、コメント投稿したり「いいね!」押してみたりしてみてね。つまり、自分の中で他人を思える余裕があるってヤツなんでしょうか?

アメリカ人の友達の多くは、ほとんどがFB上では私生活大公開のオンパレードです。それに慣れてしまうと、自己主張・自己表現の物腰が普通になってしまうので、この記事の筆者ほど敏感にならないのは、ある意味大きな文化の違いなのかもしれませんね。

先にも書いたけど、私はあまり私生活の垂れ流しはFB上であってもほとんどしません。ちょっと構って欲しいときだけ、顔無しで写真だけ投稿したりと、他人のプライベートを覗き見したい人にとっちゃあ、なんともつまらん投稿をしてるって映るかも?(笑)。このブログでも似たような調子なんで、コメントは滅多に付かないし、人によっては文章長くってスルーでしょうね(笑)まあ、でも炎上から縁遠いんで、私はそれなりに安泰感あって満足してます。。。(あ、まさに自己満足?笑)

それよりもなにより、自慢とかなんとかの前に、私が他人の私生活垂れ流し状態に一番気になるのは、やっぱり「プライバシー問題」。それだけです。自慢はしたければやればいいし、そんなの個人の勝手で、他人があーだこーだ言うのはナンセンス。でも「プライバシー」だけは、意識した方が良いとおもうのであります。とはいえ、そんなのみんな知っててやってるかもしれないんで、それもなおさら余計なお世話なんでしょうな~(笑)

散々あーだこーだ私も言ってますが、実は正直なところ、自己顕示欲の誘惑に負けそうになることも多々あります。ああ、子供たちがあんなことできた!とか、こんな事して楽しかった!だの、やっぱり「見せたい!言いたい!表現したい!」という欲望が一線を越えそうになる瞬間があります。これは、おそらく誰にでもある普通の事なんでしょうが、そこで立ち止まって、冷静に「見せるべきものなのか。書くべきものなのか。」と自問して自制する事って、けっこう難しいんですよね。って、それは私だけ?(笑)

とにかく、またしても長々と書いてしまい、全くまとまりないんですが、この記事を読んでいろいろ考えさせられたわけですよ。ソーシャルメディアとの付き合い方は、おそらくこれからもずっと続くテーマでもありますしね。

さて、今回の記事は自慢になったかな?いや、理屈臭くってウザイって?(笑)

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