アメリカはここ、クリーブランド。

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日本人会は誰のため?その壱

ちょっと前にツイッターで見かけた話題が海外の日本人会についてでした。それもネガティブな意見が多くて、もの凄く考えさせられたんですね。そんなわけで、ちょっとマジメな話題を新年早々に書きたいと思います。

そもそも海外の日本人会については、日本在住の皆さんはあまり馴染みないでしょうね。日本人会は、基本いろんなメジャーな都市に存在し、現地日本人をサポートする意味で誕生したと思います。活動内容も規模も団体によっていろいろで、日本企業が多い街では、日本の商工会議所みたいな役割をする場合も多いかもしれません。会員制なので、一定の会費を払って入会し、団体が開催するイベントなどに参加できるといった具合ではないでしょうか。

さて、ツイッターで見かけたネガティブな意見ですが、内容としてだいたいこんな感じ。ちなみに原文通りじゃなく、私なりに要約してここに書いてます。

  • 日本人会は避けた方がいい。なぜなら、一度ハブにされたらえらい目に合う。
  • 入会すると、学歴から会社名、所属部署まで根掘り葉掘り聞かれ、マウンティング*までされる。
  • 日本人会なんて駐在員のたまり場で、現地に馴染んでる日本人には必要ない。

*「マウンティング」とは、たぶん最近の若者用語だと思うのですが、沢尻エリカさん主演のドラマ『ファーストクラス』で話題となった『マウンティング女子』から来てるらしい。こちらのサイトによると、「要は、コミュニケーションを通して『自分の立場が上』と態度や言葉で示す行為のことのようです。

こういった意見を見て、私は驚くどころか「やっぱりね」といった印象を強く受けたんですね。なぜなら、私も10年前まで同じようなネガティブなイメージしか持っていなかったから。しかも、実際そんな体験もしてないにも関わらず、誰かが言ったネガティブなことだけが先行して、そういうものだと信じて疑いませんでした。その心理の背景は、このブログでも「現地日本人コミュを毛嫌いする在米異邦人」というお題で過去にも書きましたが、日本社会にうんざりし精神的な自由を求め、海外で自立しようとしてる、もしくはしてる人ほど、そういったネガティブなものに過敏に反応てしまうのかもです。

同じ海外に住む日本人でも、駐在組と永住組は多少のギャップがあるのは否定しません。駐在日本人は企業に派遣されて来るわけで、海外に住みたいと思って来てる人はあまり多くないかもしれません。よって、当然日本のやり方・考え方をそのまま持ってくる人もいるし、現地に馴染めずに悩む人も多いかもしれません。心のよりどころは、同じ境遇にいる日本人なわけで、自然に集まっしまうのも無理はないです。

逆に、国際結婚を機に海外に移住する人や、私みたいに夢を追い求めて移住する人は、どちらかというと独立心が強く、現地コミュニティに馴染んでいるので、あえて日本人と繋がる必要性もなければ、したいと思わないかもしれません。

だから、そういった違いに、御互いギャップや違和感を感じるのは当然のことかもしれません。とはいえ、10年前の私みたいに、実際に会って交流して相手を知らずに、先入観だけが先走りして、「知る」というチャンスの扉を閉ざしてしまうのは、実に残念なことだなと思うのであります。

事実、10年前にLAで参加した映画祭のボランティアを通して、日本人コミュニティを知ったのをきっかけに、自分の中で少しずつ先入観というものが変わって行きました。じゃあ、ここクリーブランドではどうなんだろうか?そんな風に思ってた矢先に、こちらの日本人コミュニティに携わってる人たちにも出逢いはじめました。そして、自分の先入観や憶測がいかに根拠が無いものであったか思い知ることになったんですね。

先にも書きましたが、日本人会はそもそも現地日本人をお互い助け合う意味合いで誕生したと思います。とはいえ、ツイッターで見かけたネガティブな経験をした人が実際大勢いるとしたら、それこそあまりにも残念過ぎますよね。もしかしたら日本人人口や企業の数によって、状況も大きく変わるのかもしれませんが、私がここで経験した事からこれだけは声を大にして言いたいです。

クリーブランドで出逢った日本人会の人たちは、本当の意味で助け合ってます。

そして、組織としての日本人会が持つ呪縛イメージをなんとか打破しようとしてると思います。少なくても、私が観察して感じ取ったことではありますがね。

ここクリーブランドには、非営利団体としての日本人会は、たったのひとつ、ノースイーストオハイオ日本人会、通称JANO(Japanese Association of Northeast Ohio)です。

そして、もうひとつ非公式の日本人会があります。友人達と立ち上げたお友達サークル的なものなんですが、クリーブランド日本人ゆるダラ会という、団体でもなんでもないコミュを3、4年前(?)から運営してます。

これから更に2回に分けて、この二つのコミュについて書いて行きたいわけですが、結局なにが言いたいのかというと、とにかく本当の意味でここの日本人会は機能してるよって言いたかったのでした。

今の若い世代はもちろん、海外に住む日本人はネットで情報を得ることがほとんどだと思います。よって、間違った情報もたくさんあることにも気づき難いし、誰かの根拠ない情報だけが一人歩きすることは多々あると思うのです。

だからあえてここで書きたかったんですね。

そんなに悪くないよ、クリーブランドの日本人会は
って。

次回は「ノースイーストオハイオ日本人会」について書きたいと思います。

ここまで長々と読んでくださった皆さんに感謝感激アメアラレ~♪

謹賀新年2018年

大晦日のディナーは頑張って、Osso Buco(イタリアの郷土料理オッソブーコで子牛の骨付きスネ肉を使った料理)をオーブンで2時間かけて作りました。トマトと赤ワインがベースです。それにしても、アメリカ人が発音するOsso Bucoって、「遊ぶ子」に聞こえてしまうのですが、それって私だけ?(笑)ちなみに、元旦のディナーはアメリカらしく手作りハンバーガーでした(笑)。

明けましておめでとうございます!
こちらも日本より14時間遅れて新年が明けましたー。

しかっし、寒いですね〜。ホントに半端なく寒いクリーブランド。どうしちゃったのー?って言うくらい、氷点下10℃以下の毎日が続いてます。おまけに、クリスマスからずーっと雪が降っては止んでまた降っての繰り返し。とにかく寒い寒いと言いながら新年を迎えた我が家でした。

一方、去年の秋小学一年になったということで、今回カウントダウンまで頑張って起きていた息子達。「もうカウントダウンまで待てない!あと何時間?」と大晦日の朝から何度も時計を確認しながら言ってたくらい大興奮でした。寝袋をテレビの前に設置してミニキャンプの真似事をしたり、今年は口パクじゃないマライヤ・キャリーの歌に酔いしれながらボードゲームをやったりしてね。この数年早寝で超スルーしてたカウントダウンナイトを家族とまったりと過ごして、なんだか心がほっこりした年末だったわけです。

それにしても、去年はあーっと言う間に終わっちゃいましたね〜。2017年が明けたかと思いきや、あれよあれよとクリスマスがやって来てもう2018年ですよー。とにかく育児に追われて、バタバタ終わったって感じです。

遠過ぎて見え難いけど、裏庭でとーちゃんとソリ滑りを楽しむ息子達。ずっとこればっかりやってます(笑)

とはいえ、精神的にはかなり安定した年でもありました。息子たちや娘の成長に幸せを感じる瞬間が多い一年でもあったかなと。そして、なによりも縁に恵まれた一年でもありました。ここ数年こんなようしゃべるオバハンの相手をしてくれてる愉快な仲間達はもちろんですが、数年ぶりに再び繋がる昔の友人など、とにかく「人との繋がり」が大きかった一年でした。

だから、家族あっての自分はもちろんですが、友人あっての自分だな〜とつくづく思うのであります。特に友達の数が少ない自分は、無理せずに自分らしく(オバハンらしく?笑)振る舞える友人たちに囲まれて幸せだな〜と。そして、確固たるなにかを貫いてると、一度過去に途切れた交流も再び繋がるものなのだな〜と、そんな風に実感した一年でした。

このブログも自己満足と言ってはいるけど、こんな何の変哲もない内容でも読んで下さるそこの「あなた」がいるから書きたくなるわけで、ホント読者あってのブログだな〜とも思います。このしがないブログにいつも足を運んで下さり、皆さんありがとうございます!

とりわけ凄い事をしてるわけじゃない、ただ普通に毎日育児やって、時間ある時は好きな事(WordPress遊びとかヴィンテージ雑貨集めとか)に夢中になる普通のオバハンですが、今年もこのブログ共々どうぞよろしくお願いします!

皆さんにとって、健康で幸ある素敵な一年でありますように!

自己責任論と根性論、もうやめませんか?

最近ネット上で興味深い記事を見かけて、ついつい熱くなってしまったので、久しぶりに真面目な話題を書きたいと思います。

その記事がこの二つ↓

今までいろんな記事を読んで、日本が格差社会になってるというのは知ってました。格差社会が広がると、当然「健康格差」になるのは、アメリカが歩んでる道なので、なんとなく知識としてではわかってました。ただ、今回これらの記事を読むまで、日本で今白熱した議論になってるテーマとは知るよしもなかったんですね。

とにかく、詳しい内容は記事の方を読んでもらいたいんだけど、とにかく際立って気になったのがこれ。

自己責任論と根性論

要は、「健康の維持が自分でできないのは自己責任であって、国がそれに手助けする必要はない」といった自己責任論です。そして、貧困を経験した人や不健康から健康を自力で取り戻した人が語る、いわゆる「自分もできたから、あなたもできるはず。できないのは意思が弱く根性が足りないからだ。」と言ったような根性論。

この二つの正論を突きつけて、弱い立場にある人たちを切り捨てる社会の動きが、どうしても残念でなりませんでした。

日本に住んでいた頃、こういった社会の冷たい動きに幾度となく心が折れそうになったことか。。。子供の頃から学校や社会を通して、こういった究極の正論を擦り込まれ、泣き言も言えない日本社会。そして、泣き言も言わず歯を食いしばってがんばることが美談とされる日本社会。ブラック企業なんて最近になってやっと注目されたけど、精神的に人を追い詰めて行くのが日本社会のメインストリームです。

もう自己責任論や根性論は、世界先進国レベルでは、もはや時代錯誤でしかありません。戦後の高度成長期でまかり通った、いわゆる「昭和」的な思想は、これからはただ人を破滅に導くだけだとおもうのであります。

一方、今回こういった議論を主なウェブメディアが取り上げて、世間の注目を集めてるということは、ある意味励まされることでもあると思います。大きな変化に向けて、皆が声を上げて研究結果や実態を学び、話し合うという動きは、未来の子供達に少しだけでも希望をもたらしますよね。そして、もう少し優しい社会が20年、30年先に日本に生まれる可能性もあります。

だから、もっとこういった話題が、いろんなメディアで取り上げられ、議論されて欲しいものだなと思いました。

私は海の向こうから、眺めてることしかできないけど、これからの若い人たち、がんばれ〜!

そんな風に思ったけど、アメリカも大統領弾劾に向けて、もっと頑張って欲しいですな(笑)

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