アメリカはここ、クリーブランド。

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謹賀新年2020

あけましておめでとうございます!

さっそくですが、新年があーっという間に明けてしまったので、新年のご挨拶というか抱負というか、とにかくいろんな思いをちょっと書きたいと思います。

交流の輪が広がった2019年

去年はとにかくネット上での出会いと交流の一年でした。

というのも、春先から子供達のスポーツ活動や仕事で忙しくなり、友達とプレイデイトする以外は、頻繁に女子会などに参加することがなく、その反動でどっぷりツイッターに浸かってしまったから。ツイッター用語で言う、文字通り「ツイ廃*」気味な私でした(笑)

やっぱり普段英語しか話さない環境にいると、日本語でガス抜きが必要になるんですよね。それは良い意味でのガス抜きでもあります。楽しいことや幸福を感じたこと、時にはしんどい気持ちを吐き出すためのガス抜き。だから自然とツイッターで呟く回数が増えていって、フォロワさん達と交流する機会が増えて行ったんだと思います。

よって、いろいろな交流を通して、精神的に励まされ、支えられ、癒され、「自分はこれでいいのだ!」という自己肯定感を得れた、いわゆる精神的に安定した一年だったんですね。本当にツイッターランドのみなさんには感謝し切れない!

特に、今までサボり気味だったブログに、意を決して「自己開示」したとき、たくさんの方からフィードバックをもらったのは、私にとって大きな自信にも繋がりました。おかげで、自分の考え方の立ち位置や信念などを再確認でき、自分がこれから人生でやりたい事がはっきり見えて来たんですね。これは、本当に大きな収穫でもあります。

新年の抱負?

お約束どおり、新年の抱負なんていうくだりになるのですが、正直なところ新年が明けたからって大きな期待や抱負を掲げるといった気合はありません。

まあ、あえてざっくり言うならば、このまま家族との時間を大切にし、家族と自分自身の幸福のために、ひたすら家族や毎日のプチ幸福、そしてリアル友達やツイッターランドのみなさんにも感謝して行きたい!ということでしょうか。

そりゃあ、細かい「やりたいこと」はいろいろありますよ。例えば、いつも挫折している読書や停滞気味な低糖質ダイエット、そして運動とかね。健康維持のための対策なんて、もう言うまでもないですし。

でも、つまるところ、結局は「幸福」に繋がる全ての事を大切にし維持していく事が、新しい年になろうとなかろうと、永遠のテーマなのかなと思うのであります。

自分が幸せであれば家族も幸せであるわけです。そして、自分を取り巻く友人たちやコミュニティ、はたまた世界のどこかにいるツイッターランドの皆さんにも、少しはそんなポジティブオーラが伝染するかなと思ったりもしてます。

だから、多くを期待せず、多くを求めず、自分に正直に、そして自分らしく「幸福」というキーワードに集中して一年過ごして行けたらいいなと思います。

春になるとまた忙しくなるので、今のうちに書きたい事をブログに書き留めておきたいなと思ってます。不定期更新の当ブログですが、これからも一年どうぞ暖かく見守ってくださいね!よろしくお願いしまーす😊

そうそう、いつ爆弾発言するかわかりませんよ〜(って、違っ😆)

それでは、みなさんにとってもこの一年が健康で、幸ある素敵な年でありますように!


以下クリスマスから年末にあった出来事を写真にまとめました。

こちら以下はツイッターに載せた写真たち。


*ツイ廃: ツイ廃とは、ソーシャルメディア「Twitter」の利用に没頭あるいは依存しており、利用頻度が日常生活に支障を来す程度に達しているような人を指す俗な言い方である。 ツイ廃はTwitterのヘビーユーザーがさらに利用頻度・依存度を増した状態と捉えられる。(出典元:weblio辞書

バイリンガル育児してませんが、なにか?

やっと復活しましたので、それを祝ってまたブログ投稿です。

っていうのも、実は先週の感謝祭連休は感謝祭どころじゃなかったんです。そう、家族みんなでインフルエンザ(?風邪?)にかかってしまったんですね。

幸い今年は子供達の学校の都合上、急遽義理家族がこっちにやってくる事になったので、感謝祭ディナーは彼らにほぼ全てを作ってもらいました。夫と子供二人は発熱中ではあったけど、元気な次男と義理家族、そして私のためにディナーを食べたようなものでしたが、子供達はずっと楽しみにしてたので、義理家族には本当に助けられたわけです。

とにかくその後、家族順々にウィルスが移りまくり、週末も週末明けもずっと引きこもり。そして今週中旬やっと家族みんなで完全復帰となりました。

さて、前置きがかなり長くなりましたが、肝心なお題の方に入りたいと思います。
そう、バイリンガル育児!
はい、ワタクシもう諦めました。
もう一生懸命頑張るのを辞めたんです。

え?そんなんでいいの?なんかそれって子供が可哀想じゃない?日本の家族と話せないのって親不孝じゃない?なんて言う批判の声が聞こえて来そうですが、良いんですよ。外野はなにやったって、あーだこーだ言って来るものですから。

じゃ、なぜに辞めたのか?というとですね。やっぱり無理があるからです。そもそも息子達の方はもう随分前に諦めてましたしね。周りに国際結婚家族が頑張ってるから、なんか一人で頑張ってなくて罪悪感はあったものの、やっぱり日本語教育をしていく状況は厳しいものしかなかったんですよ。

というのも、我が家はバイリンガル育児をやって行ける環境も揃ってなかったし、なによりも我が家にとって英語に軸を置いて育児をする事にメリットが大きいとわかったからです。

いろんな国際結婚家族を観察して思ったのですが、バイリンガル育児が成功する、つまり子供が日本語も英語も話せるバイリンガルになるには、ある条件が揃ってないといけません。それがこれ。

  • 子の両親が日本語を話す。
  • 母親が日本語話者で、育児をフルタイムで担当している。
  • 日本語話者である母親のワンオペ*が多い。
  • スカイプ電話などしたり日本の家族と交流が頻繁である。
  • 日本に長期帰省する回数が多い。(例:年に一回帰省)
  • 日本の家族との絆が深い。
  • 日本語補修校に通わせるために、土曜日を補修校のために確保し優先してる。

これら全てが当てはまってるか、もしくはいくつか当てはまってると、子供の日本語は意思疎通を簡単にこなせるまで上達すると思います。

一方、うちはどれも当てはまりません。なにひとつもです!

そんな状況で、いくらアンパンマンのDVDを見せたって、いくらしまじろうの絵本を見せたって、いくら私が変な日本語を駆使してまで話しかけたって、子供が意思疎通をできるまで日本語が上達するはずがありません!

むしろただただ精神的に疲れるだけです。というのも、子供のしつけをする上で、両親のしつけの仕方(言語)が一致しなけれなば、子供は混乱し正しいメッセージも伝わりません。そして親はただイライラしてしまいます。親にとっても、子にとっても、それは決して良いことではありません。

私にとって、育児を夫や義理家族に手伝ってもらう事、家族全員が同じ言語で話し家族の団欒が楽しい事、学校など社会での素行が良い子に育てる事などなどが最優先でした。それを実行するためには、やはりバイリンガル育児には無理があったのです。

とはいえ、日本語のインプットを断ち切ったわけではありません。娘には今でも日本語で話すこともありますし、息子達が興味を示せば日本語単語を教えたり、文化や習慣を教えたりしてます。もちろん食事だって、日本食は欠かせません。

日本語はまったく話さないけど、日本関連の話題や人が本やテレビで出て来る度に息子達は嬉しそうに話ます。それは自分たちのルーツを理解し愛着を持ってる現れだと受け取ってます。親子の絆が強ければ強いほど、それは決して断ち切れるものでないし、消えることではないと信じて疑いません。

だから、いつか将来彼らが本気で日本語に興味を持ち出したら、惜しみなくサポートするつもりです。逆にまったく興味を示さなくても、それはそれで仕方ないかなと思ってます。日本にルーツを持つからと言って、日本語力を持っていなければいけないわけじゃないし、それを親が強制することも良く無いですからね。

最後になりましたが、最近こんな記事に出会いました。ちょっと古い記事なのですが、内容にとても共感を覚えたのでここでも紹介しておきますね。

日本の親が気づけない「子供をバイリンガルに育てたい」の危険性 —MAG2NEWS

記事文中内にあるこの部分に、私は同意見です。

子どもにとってもっと大切なことは、他にある。身体にそなわった感覚をフルに使って経験値を高めること、思考力を鍛えること、安定した自信を築くこと、他の人への共感を深めること、コミュニケーション力をつけること、知りたいと思う意欲を伸ばすことなどだ。

病み上がりに娘がまず最初に食べたいと言ったものが「おにぎり」である限り、私はそれで十分幸せだと思う今日この頃です。😊


*ワンオペ(=ワンオペ育児):配偶者の単身赴任など、何らかの理由で1人で仕事、家事、育児の全てをこなさなければならない状態を指す言葉である。 母親1人を指す場合がほとんどで、「ワンオペ育児ママ」という派生語もある。 「ワンオペ」とは「ワンオペレーション」の略で、コンビニエンスストアや飲食店で行われていた1人勤務のこと。(引用元:コトババンク

子への依存は毒でしかない

はい、珍しく続けてブログの更新です。
前回の記事がなかなか好評でしてね。
予想以上にたくさんの方に読んでもらい、いろいろなコメントも個人的に頂いたのでもう嬉しくって!
滅多にそういうことないもんだから、ワタクシ調子に乗ってまた更新しております。

さて、今朝ツイッターで呟いたことがまたしても予想を反して、みなさんから反応してもらえました。
それがこれ↓

ということで、これについてちょっと書いてみます。

私の父については前回の記事で書いたので、詳しくはここでは書きませんが、私の父は子供達に恩を着せる人でした。「お前を育ててやったのだから、老後はお前に任せる。家を継ぐのはお前の義務である。」などと、子供達に子供の頃から言い聞かせ、それに反したコメントをすると、すごい形相で「親に対してそんなことを言うのか!誰のおかげで生活できると思ってるのか!」と怒鳴りちらすのが日常でした。

え?聞き覚えあるって?
そう、そうなんです。似た様なセリフやシーン、日本映画やドラマでも見聞きしたことありません?

そしてさらに、いろいろな人の話を聞くうち、実は私の父は珍しいわけでもなんでもなかったのですよ。そう、それが普通の日本の頑固親父の肖像であり、「親が苦労して子を育てたのでだから、子はその恩を返すのが当然である。それが親孝行。」というのが社会の中に浸透してるわけです。

え?それって普通でしょ?っていう人も読者の中にいると思います。確かに親孝行するのはいい事ですよ。でもそれを親が要求して精神的に圧力をかけるのは間違いです。子はただその圧力から逃げたがるだけ。結果的に親子関係がこじれるのは当然のことです。

日本は昔から家父長制度と世襲制が強く根づいた社会ですよね。「家」があり、子は「家」を継ぎ、親の老後の面倒を見るのが当然であるという社会的圧力があります。でもそれがいかに病的であるか、私は日本を出るまで気付きませんでした。いや正直、そこまで人間のメンタルを蝕むか、子供たちが生まれるまで気付きませんでした。

そもそも「子供の人権」が騒がれるようになったのもここ数年のことですよね。子は一個人であるというより、子は親の所有物のように扱われてます。つまり、子の意思とは別にやりたくない事をさせられたり、子のためと言って親は子をコントロールしようとします。そして、子がそれに反すれば精神的圧力をかける。これは明らかに子への依存です。子がメンタルを病むのは当然のことです。

私の母は昔から父とは真逆でした。「えっちゃんが嫌ならやらなくてもいいよ。えっちゃんがやりたい事をしていいからね。」と言ってくれました。そう言ってくれたおかげで、たぶん自分は自分が信じる道を歩んで来れたのだと思います。

ちなみに、私は義理両親に老後何かあったときは喜んで面倒をみたいと言ってます。でもよっぽどの事がない限り願いは叶いそうにありません。なぜなら彼らは私たち達の自由と権利を尊重し、また自分自身の自由と権利を尊重してるからです。つまり誰にも頼らず自力で自分の心地よい空間で自由に生きるという事を尊重しているのです。

人生の幸福は、知恵をつけ、自分で考え、誰にも依存することなく自由に生きることだと思います。だから依存する事は毒でしかないんですよ。それは親にとっても子にとっても。

だから何度でも言いますよ。しつこいくらいに言いますからね。

親は自分の人生を歩むべき。
子も自分の人生を歩むべき。

はい、ここまで長々とえっちゃん節を読んでくださりありがとうございましたー😊


【追記】老後の現実的な話、つまり経済力や家族の協力については、また別問題なので、ここでは深く言及しません。精神的依存がもたらす精神的ダメージについて書いただけですのでご理解ください。

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