アメリカはここ、クリーブランド。

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日本で選挙不参加の自分が今選挙に参加したい理由

私は日本で投票した事がありません。全く興味がありませんでした。

一方私の父は生前、故郷岩手の地元市会議員さんの後援会でボランティアを熱心にしていたんです。それにもかかわらず、娘の私は全く興味のかけらもなかったんです。逆にそんな父を尊敬するどころか、冷たい目でずっと見ていました。なんでそんな熱くなるの?みたいな冷たい目。

高校卒業後、就職するために田舎を出て千葉に移り住んでも、その政治や社会に対する態度は全く変わりませんでした。だって新聞だって読まなかったですよ。観るテレビだってバラエティやドラマばっかり。本だってアニメ・漫画・イラスト関連、そして英語学習関連くらいでしょうか。

え?典型的な若者だって?そう、政治や社会に興味ないのは私だけじゃなかったんです。同級生だって、会社の同期や先輩だって、そんな話をする人はいないし、関心ある事なんて芸能人についてや恋愛・噂話くらいですよ。まあ、英語とアニメ好きと言えばヲタクみたいな扱いでしたからそんな自分を控えめにしつつ、陰ながらあくびしながら周りの話は聞いてましたがね。

とにかくそんなもんだから、一度たりとも選挙に参加した事がなかったんです。
え?普通でしょ?たいてい若い頃ってそんなもんじゃありません?
つまり若い頃って、自分の事にしか関心ないんですよ。

ところがですね。それから20年以上も経った今、とーっても選挙に参加したい情熱でいっぱいなんです。私を個人的に知ってる友達は知ってると思うけど、とにかく来週(11月3日)に行われる大統領選挙に目が離せません。気になって投票したくて仕方ないんです。

でも私は投票できません。だって市民権ないから。まだアメリカ人じゃないから無理。今回ほど選挙権がない自分を悔やんだ事はありません。だから5ヶ月前に市民権申請をしたんです。でもコロナ渦中でゴタゴタのアメリカ、そんなすんなり事が進むわけじゃありません。だから今回は参加できません。

悔しいです。悔しいから自分ができる事をしてます。キャンペーングッズ買って政治献金したり、自分が運営するコミュニティで情報を控えめに広げたり。そんな事くらいしかできません。

それにしても、あんなに政治に無関心だった私、どうしてここまで変わってしまったのでしょうね?
答えは簡単です。

それは今のアメリカが激しくヤバイからです。

日本在住の読者の皆さんの中で、一般の新聞やテレビでしか情報を得てない方には、少し分かり難いかもしれません。だって、日本のメディアでは偏った報道が見受けられるから。まあ、その辺のツッコミは長くてややこしくなるから今回は言及を避けますが、とにかくこのアメリカ合衆国という国が、今の大統領が再選されてしまったら本当に本当に命に関わるくらいヤバイんですよ。

そんなヤバイ理由なんてここであげたらキリがないです。新型コロナウィルス問題に、経済問題に、人権問題に、とにかくアメリカという国の基盤である民主主義が根底から崩れて始めてる。そんな恐ろしい事が今起こってるんです。

政局は毎日が変化の嵐です。昨日観たニュースの次に今日はまた違う憂鬱なニュース。今の大統領になってからその繰り返しでした。そしてそれが新型コロナウィルスパンデミックになってから、ものすごい速さで続いてます。

まあ、正直に言えば、この20数年で自分がこう突然変わってしまったわけではないです。アメリカに住み始め色々な苦悩を経験するうち徐々に社会と政治に関心が生まれたのは確かです。

アメリカという国を知るうちに、この国に変化をもたらした偉人達についても学びました。そして、日本では全く意識しなかった、いや、むしろ意識できなかった「権利」というものを知り、自分の中の可能性というものを認識するようになりました。私が私であるための権利、つまり人権。その人権を守るために、先人たちは命を張って闘ってきました。闘って闘って闘い尽くして、一歩一歩大きな変化をもたらしてきました。

それがアメリカです。
だからアメリカが好きなんです。
どんなに波乱動乱続きでも、闘う人たちがいて希望を与えてくれるこの国が、私は好きなんです。
なんも特別な才能があるわけでもない凡人の自分に、自分があるがままでいられる大切な家族に巡り合わせてくれたこの国が、私は好きなんです。

そして、なによりも才能にあふれる子供達の未来を考えれば考えるほど、私は先人達のように闘いたいと思うんです。どんなに微力であっても、子供達の未来のために、私が親としてできる事をやりたいのです。だからそのためには投票する事!そう決意しました。

最近観た映画「ヘイト・ユー・ギブ」(原題:The Hate U Give)の劇中で、主人公の父親が主人公を含む子供達にこう叫びます。

You, your brothers, and your mother, are my reasons to live and die.

お前と、お前の兄弟達、そしてお前の母親は、俺が生きるための理由であり、死ぬための理由でもある!(つまり、お前達のために生き、そしてお前達のために死ねる。)

この言葉に大きく頷き感動した自分は、明らかに二十数年前にはありませんでした。子供たちがここまで変えてくれた事に感謝しきれません。

さて、来週の今ごろは選挙結果が出ています。
いったい「希望」となるか、「絶望」となるのか。。。?

凡人の自分でもできる事

久しぶりの更新です。3ヶ月ぶりですね。
私は至って元気です。家族も皆元気で、引きこもり生活を満喫してます。もちろん半分皮肉ですが。

とはいえ、人間は正しい情報を多く得れば得るほど、恐怖というものが消え、新しい生活に慣れるもんなんですよね。だから、日常生活がガラっと変わった3月に比べ、ずいぶん気持ち的に楽になったし、しんどいと思うことは無くなりました。とにかく今をポジティブに生きる!先の見えない今、もうそれしかないですね。

さて、この2ヶ月の間いろいろありました。私たち一家はなにもないけど、ご存知のとおりアメリカが!
あまりに沢山のことが起こり過ぎて、書きたいことは山ほどあったけど、結局パソコンに座って書くまでに至らず2ヶ月も過ぎてしまいました。

そこで、自問自答したり、同じように関心をもつ友人たちと話すうち、最近自分の中で辿り着いた思いを少し書いてみたいと思います。

きっかけは、5月中旬から始まったBLM運動(Black Lives Matter)でした。日本でも報道されてるので、あえて詳しく書きませんが、一人の黒人が白人警官に殺害されたのをきっかけに起こった人種差別反対デモです。そして、今現在もデモは各地で続いてます。

色々なニュース記事を読んだり、ツイッター上での意見交換などをしてるうちに、アメリカ社会の理不尽さに強い怒りを覚えるようになりました。いや、今まで気づいてはいたけれど、これほどまで考えさせられる事がなかったのだと思います。

そして、この件に関して無関心で、白人至上主義者のような目で事態を傍観している日本人がいる事も知りました。いや、なんとなくそれには以前から気づいてはいたけれど、これほどまで可視化される事はなかったのかもしれません。だから、改めてそれを認識し、さらなる絶望感に陥ってしまったのでしょうね。

私がこれほどまでに社会の理不尽さ、不平等さに関心がある理由は、日本社会から逃れたくて渡米した過去があるからです。女性であるがゆえ差別を受け、自由に自己を表現できず、権利は尊重されないという社会の理不尽さ。それが私には耐えれませんでした。

人として社会で平等に扱われ生きる権利。これほどまでシンプルな権利はないのに、性別や肌の色でその権利を剥奪される現実社会。それを十分肌で感じ理解してるがゆえ、今回のBLM運動に強く心を揺さぶられたわけです。

私にできる事はなんだろう?
無関心である人たちを変えるには、いったい何ができるだろう?

そんな風にずっと考えてました。

私はご存知のとおり凡人です。
見かけも大していいわけでもなく、いい大学を出てるわけでもなく、かっこいいキャリアもなければ、他人が羨むような生活もしてません。英語も流暢に話せないし、何か特別な才能に長けてるわけでもなく、専門的な知識も豊富なわけでもありません。

ただ唯一誇れるものは、家族と学びたいという強い意欲だけ。

そんな自分ができる事。考えて考え抜いた答えはたったひとつです。
それは、ただ「共有する事」。

自分が正しいと思う情報を人に伝え、共有する事。
自身が経験したいろいろな話を語り、共有する事。
そして、「あなたでもできる!」と応援し勇気付ける事が、凡人である自分が唯一できる事だなと思うのです。

2ヶ月前にネットフリックスで、ミシェル・オバマさんのドキュメンタリーを観ました。
劇中最後の方で、彼女がこう言うのです。

If we can open up a little bit more to each other and share our stories, our real stories, that’s what breaks down barriers.

But in order to do that, you have to believe that your story has value.

もし私たちが少しでもお互い心を開き、自分たちの物語(つまり経験談や生い立ちなど自身にまつわる話)、私たちの本当の物語を語り共有できるなら、それがお互いに立ちはだかる壁を壊すものである。

しかし、それを実行するには、あなた自身が自分の物語に価値があると信じなければなりません。

人はその人がもつ「物語」に心を動かされます。同じ境遇で、同じ思いをした経験がある「物語」ならなおさら。
つまり、個人の「物語」を共有することによって、生まれる共感こそが人を動かす原動力なのでしょうね。

また、彼女はこんな風に言って、若い世代を励まします。
この言葉が私に勇気を与えてくれたのは言うまでもありません。

That story with all the highs and lows, and what seems to so ordinary, and what seems like nothing to you, is your power.

全ての良い面も悪い面もあるその話、ごく普通に見える話、あなたにとってなんでもない話、それがあなたが持ち合わせたパワーなのです。

と言う事で、これから少しずつ自己開示をしながら、ここでも自分の「物語」を語り共有して行きたいなと思います。

最後に、ネットフリックスで今も配信中である、ミシェル・オバマさんのドキュメンタリーの予告編を貼っておきますね。今読んでる本を読み終わったら、彼女の自叙伝もぜひ読んでみたいと思います。

今だから考えたい恐怖と不安と怒り

最近いろいろニュースを見る度に考えさせられます。

あまりにも毎日たくさんの事が世の中で起こり過ぎてて、あれについて書きたい!これについて書きたい!と思うばかりで、なかなか考えがまとまりません。

そんな中、こんなニュースが飛び込んで来ました。それがこれ↓

「帰省してまもない妊婦 救急搬送の受け入れ断られる 岩手」— (NHKニュース)

故郷岩手での出来事だったので、思わず息を飲みました。そして思ったのがこれ。

アメリカだったら、これは絶対にありえない!

本当はこの件について、ここで書こうか迷ってました。同じように感じてツイートした人のツイートが、荒れに荒れてて炎上してたから。(ちなみに、炎上防止のため、そのツイートはここには載せません。)

でもやっぱり書かずにいれませんでした。だって、同じようにコロナ騒動で病院がテンテコ舞いの渦中になるアメリカでさえ、ほぼ起こり得ない件じゃありません?仮にも日本は先進国と謳われてる国ですよ。

そして、更に私が一番悲しくなったのは病院側を擁護し、この当事者を叩く世間でした。確かに彼女の選択、つまり帰省するべきではないのに帰省した事は間違いだったと思います。

でもそれだからと言って批判し叩く世間。ちょっと狂ってません?

出産は命がけです。私も命を張って娘を出産しました。本当は死んでいたかもしれない状況でした。多くの母親が命を張って我が子を産んでます。

たとえ間違いを犯した人間でも、私たちと同じ「命」ある人間です。「命」はどんな状況であっても、同じ「命」と変わりません。全ての「命」が尊いって、子供の頃に教えられませんでした?

それなのに、そうじゃないと思う人々が大多数いる。「恐ろしい」という言葉以外に言葉が見つかりません。

そしてそんな中、また違う記事が飛び込んで来ました。それがこれ↓

「『私だから拒まれた』看護師の悲痛な思い-コロナ恐れる偏見の目」—bloomberg.co.jpより

これもあり得ません。むしろアメリカでは今、医療従事者達が拍手喝采を受けてます。彼らはコロナ前線で闘うヒーローとさえ謳われてます。

いったいなぜこんなにも違いがあるのか、、、?

そういろいろ考えてみました。そして得た結論はこれ。

やはり文化の違いという事ではないでしょうか。

アメリカはキリスト教が土台の国です。ご近所さんに優しくしましょう、お互い感謝し合い助け合いましょう。そして罪を許し合いましょう。それが基本精神になってますよね。

だからコロナ感染者が世間に謝る必要ないし、それを世間からも求められない。そして医療崩壊は感染者のせいでもなければ、それ以外の疾患で病院に運ばれる患者のせいではない。今ここで問われてる医療崩壊危機は、概ね行政のせいにされてると思います。

日本の医療状況について、自分は詳しくわからないので何も言いません。感染してないその他多くを守る側の言い分。わからないでもありません。

ただ、人間として慈愛の精神が欠けてる日本社会の一面を、今回ニュースで目のあたりにして、自分が日本社会を去った理由を再確認してしまいました。

私は宮崎駿監督の映画「もののけ姫」が好きです。その中で重要なキャラクターである「タタリ神」を知ってますか?詳しくはこちらのサイトを参考にして欲しいのですが、コロナ騒動が起こって以来、私はこの「タタリ神」が頭から離れません。

というのも、「タタリ神」は「怒り」と「怨念」の結晶だから。そして、その「怒り」と「怨念」により、自ら身を滅ぼすと言う事を体現してます。

人間は不安になった時に、恐怖に慄き、その恐怖が怒りと憎しみに変わり、そしてその怒りと憎しみは怨念となり他者を攻撃する。

ウィルス感染者・死者拡大により、自宅待機を強いられ、働きたくても働けない人々がデモをアメリカ各地で起こしてますが、彼らの怒りはまさに恐怖と不安から来ているわけですよね。そして彼らの怒りの矛先は今、私たちを守ろうと必死に戦ってる政治家、はたまた医療専門家や医療従事者にまで及んでます。

マスクもせずに、ソーシャルディスタンスも無視して、デモに参加してた人たちの中に感染者が増えるのではという懸念が専門家から出されてるニュースも聞きました。これは身を滅ぼしてる行為。まさに「タタリ神」そのものではありませんか。

先にも書いた日本でのニュースも、まさに人間がもつ「タタリ神」から来てます。そして、誰でも「タタリ神」になりえます。「タタリ神」になるかならないかは、私たち一人一人が心の持ち用によると思います。

我が家のキッチンの窓越しにバードフィーダーがあります。そこにやってくる野鳥たちを観察しながら、私は日々思う事があります。

私が近くとすぐ逃げてします野鳥。喧嘩し合う野鳥。そして、私が近づいても、時として私をじっと見つめながら、ただ悠長に餌を頬ばる野鳥。

正しい科学の情報を元に、お互い防御するための基本対策をし、穏やかな物腰でどっしり構えて生きてる方が、もしかしたらこの危機から心身ともに生き残れるのかもしれませんね。

*写真は先々週に開花したクリーブランドのソメイヨシノです。

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