アメリカはここ、クリーブランド。

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思いついた事なんでも

くるみもーずで謹賀新年2021

もう新年明けてから1週間以上も経ちましたが、あけましておめでとうございます!

2ヶ月以上もご無沙汰しておりました。
大統領選も終わり、感謝祭、そしてクリスマスとイベントが続き、あっという間に新年になってしまいましたね。

私は至って元気です。家族も相変わらず引きこもりながら元気でやってます。
まだ新型コロナウィルスで大混乱だし、アメリカの政局は引き続き不安定のままですが、とりあえずバイデンじっちゃんが当選し、明るい未来への希望ができ随分気持ちだけは去年に比べたら晴れてきてます。
はい、この国でクーデターを起きそうになったとしても、やはり現大統領の崩壊に向かってるのは確かで、去年に比べたら断然まだましと思ってます。

毎度のことながら、本当はいろいろ書きたいネタはあったんですがね。やっぱりダメですね〜。ゆっくりパソコンに向える夜は、脳が疲れ切って文章を考える気力が湧きません。だから結局書きかけては止める、更新したいけどできない、、、そんな毎日が続いてました。

さて、先週から子供達の学校が始まり、やっと通常生活に慣れだしてきたので今日は少し余裕が出てきたかも?ということで、新年に作った「クルミもーず」について簡単に書いてみます。

「クルミもーず」は故郷岩手県宮古市の方言で、「クルミ餅」のことを言います。お餅にクルミだれをかけて食べるお正月の郷土料理のひとつとでも言いましょうか。私はこのクルミだれのお餅を食べて育ったので、お正月になるとこの「くるみもーず」がとても恋しくなるんですね。

母が年末になるとお餅をつき、クルミを漬物石の上に置き金槌で割る音。紅白歌合戦を観ながら、コタツの上でクルミを殻から取り出す姿。すり鉢でクルミの実を摺るながら作るクルミだれの香り。どれもお正月の風情ある風景の思い出。それが毎年お正月になると目に浮かび恋しくて仕方なくなるんです。

特に去年はほぼ一年引きこもり生活だったじゃないですか。本当は今年5年ぶりに帰省したいと思ってたんです。でもこの新型コロナウィルスのおかげで無理な感じですし、来年もまだわかりませんよね。だから今回の年末年始は今まで以上に日本が恋しかったんです。

以前にもクルミだれは作ったことあるんですが、子供達が小さかったので作った甲斐が全くありませんでした。でも今年は息子たちが美味しい!美味しい!って連呼しながら食べてくれたので、これから毎年作ってお正月を祝うことを決意しましたよ!

今年こそキッチンエイドのスタンドミキサーをゲットして、お餅も手作りできたらいいなとも思ってます。

というわけで、美味しかったくるみもーずで明けた2021年。今年こそはとにかく去年よりも良い年になる事を祈るばかりです。みなさんにとっても良い年である事を願ってます!

更新頻度が悪い当ブログでありますが、今年もどうぞよろしくお願いします。

凡人の自分でもできる事

久しぶりの更新です。3ヶ月ぶりですね。
私は至って元気です。家族も皆元気で、引きこもり生活を満喫してます。もちろん半分皮肉ですが。

とはいえ、人間は正しい情報を多く得れば得るほど、恐怖というものが消え、新しい生活に慣れるもんなんですよね。だから、日常生活がガラっと変わった3月に比べ、ずいぶん気持ち的に楽になったし、しんどいと思うことは無くなりました。とにかく今をポジティブに生きる!先の見えない今、もうそれしかないですね。

さて、この2ヶ月の間いろいろありました。私たち一家はなにもないけど、ご存知のとおりアメリカが!
あまりに沢山のことが起こり過ぎて、書きたいことは山ほどあったけど、結局パソコンに座って書くまでに至らず2ヶ月も過ぎてしまいました。

そこで、自問自答したり、同じように関心をもつ友人たちと話すうち、最近自分の中で辿り着いた思いを少し書いてみたいと思います。

きっかけは、5月中旬から始まったBLM運動(Black Lives Matter)でした。日本でも報道されてるので、あえて詳しく書きませんが、一人の黒人が白人警官に殺害されたのをきっかけに起こった人種差別反対デモです。そして、今現在もデモは各地で続いてます。

色々なニュース記事を読んだり、ツイッター上での意見交換などをしてるうちに、アメリカ社会の理不尽さに強い怒りを覚えるようになりました。いや、今まで気づいてはいたけれど、これほどまで考えさせられる事がなかったのだと思います。

そして、この件に関して無関心で、白人至上主義者のような目で事態を傍観している日本人がいる事も知りました。いや、なんとなくそれには以前から気づいてはいたけれど、これほどまで可視化される事はなかったのかもしれません。だから、改めてそれを認識し、さらなる絶望感に陥ってしまったのでしょうね。

私がこれほどまでに社会の理不尽さ、不平等さに関心がある理由は、日本社会から逃れたくて渡米した過去があるからです。女性であるがゆえ差別を受け、自由に自己を表現できず、権利は尊重されないという社会の理不尽さ。それが私には耐えれませんでした。

人として社会で平等に扱われ生きる権利。これほどまでシンプルな権利はないのに、性別や肌の色でその権利を剥奪される現実社会。それを十分肌で感じ理解してるがゆえ、今回のBLM運動に強く心を揺さぶられたわけです。

私にできる事はなんだろう?
無関心である人たちを変えるには、いったい何ができるだろう?

そんな風にずっと考えてました。

私はご存知のとおり凡人です。
見かけも大していいわけでもなく、いい大学を出てるわけでもなく、かっこいいキャリアもなければ、他人が羨むような生活もしてません。英語も流暢に話せないし、何か特別な才能に長けてるわけでもなく、専門的な知識も豊富なわけでもありません。

ただ唯一誇れるものは、家族と学びたいという強い意欲だけ。

そんな自分ができる事。考えて考え抜いた答えはたったひとつです。
それは、ただ「共有する事」。

自分が正しいと思う情報を人に伝え、共有する事。
自身が経験したいろいろな話を語り、共有する事。
そして、「あなたでもできる!」と応援し勇気付ける事が、凡人である自分が唯一できる事だなと思うのです。

2ヶ月前にネットフリックスで、ミシェル・オバマさんのドキュメンタリーを観ました。
劇中最後の方で、彼女がこう言うのです。

If we can open up a little bit more to each other and share our stories, our real stories, that’s what breaks down barriers.

But in order to do that, you have to believe that your story has value.

もし私たちが少しでもお互い心を開き、自分たちの物語(つまり経験談や生い立ちなど自身にまつわる話)、私たちの本当の物語を語り共有できるなら、それがお互いに立ちはだかる壁を壊すものである。

しかし、それを実行するには、あなた自身が自分の物語に価値があると信じなければなりません。

人はその人がもつ「物語」に心を動かされます。同じ境遇で、同じ思いをした経験がある「物語」ならなおさら。
つまり、個人の「物語」を共有することによって、生まれる共感こそが人を動かす原動力なのでしょうね。

また、彼女はこんな風に言って、若い世代を励まします。
この言葉が私に勇気を与えてくれたのは言うまでもありません。

That story with all the highs and lows, and what seems to so ordinary, and what seems like nothing to you, is your power.

全ての良い面も悪い面もあるその話、ごく普通に見える話、あなたにとってなんでもない話、それがあなたが持ち合わせたパワーなのです。

と言う事で、これから少しずつ自己開示をしながら、ここでも自分の「物語」を語り共有して行きたいなと思います。

最後に、ネットフリックスで今も配信中である、ミシェル・オバマさんのドキュメンタリーの予告編を貼っておきますね。今読んでる本を読み終わったら、彼女の自叙伝もぜひ読んでみたいと思います。

今だから考えたい恐怖と不安と怒り

最近いろいろニュースを見る度に考えさせられます。

あまりにも毎日たくさんの事が世の中で起こり過ぎてて、あれについて書きたい!これについて書きたい!と思うばかりで、なかなか考えがまとまりません。

そんな中、こんなニュースが飛び込んで来ました。それがこれ↓

「帰省してまもない妊婦 救急搬送の受け入れ断られる 岩手」— (NHKニュース)

故郷岩手での出来事だったので、思わず息を飲みました。そして思ったのがこれ。

アメリカだったら、これは絶対にありえない!

本当はこの件について、ここで書こうか迷ってました。同じように感じてツイートした人のツイートが、荒れに荒れてて炎上してたから。(ちなみに、炎上防止のため、そのツイートはここには載せません。)

でもやっぱり書かずにいれませんでした。だって、同じようにコロナ騒動で病院がテンテコ舞いの渦中になるアメリカでさえ、ほぼ起こり得ない件じゃありません?仮にも日本は先進国と謳われてる国ですよ。

そして、更に私が一番悲しくなったのは病院側を擁護し、この当事者を叩く世間でした。確かに彼女の選択、つまり帰省するべきではないのに帰省した事は間違いだったと思います。

でもそれだからと言って批判し叩く世間。ちょっと狂ってません?

出産は命がけです。私も命を張って娘を出産しました。本当は死んでいたかもしれない状況でした。多くの母親が命を張って我が子を産んでます。

たとえ間違いを犯した人間でも、私たちと同じ「命」ある人間です。「命」はどんな状況であっても、同じ「命」と変わりません。全ての「命」が尊いって、子供の頃に教えられませんでした?

それなのに、そうじゃないと思う人々が大多数いる。「恐ろしい」という言葉以外に言葉が見つかりません。

そしてそんな中、また違う記事が飛び込んで来ました。それがこれ↓

「『私だから拒まれた』看護師の悲痛な思い-コロナ恐れる偏見の目」—bloomberg.co.jpより

これもあり得ません。むしろアメリカでは今、医療従事者達が拍手喝采を受けてます。彼らはコロナ前線で闘うヒーローとさえ謳われてます。

いったいなぜこんなにも違いがあるのか、、、?

そういろいろ考えてみました。そして得た結論はこれ。

やはり文化の違いという事ではないでしょうか。

アメリカはキリスト教が土台の国です。ご近所さんに優しくしましょう、お互い感謝し合い助け合いましょう。そして罪を許し合いましょう。それが基本精神になってますよね。

だからコロナ感染者が世間に謝る必要ないし、それを世間からも求められない。そして医療崩壊は感染者のせいでもなければ、それ以外の疾患で病院に運ばれる患者のせいではない。今ここで問われてる医療崩壊危機は、概ね行政のせいにされてると思います。

日本の医療状況について、自分は詳しくわからないので何も言いません。感染してないその他多くを守る側の言い分。わからないでもありません。

ただ、人間として慈愛の精神が欠けてる日本社会の一面を、今回ニュースで目のあたりにして、自分が日本社会を去った理由を再確認してしまいました。

私は宮崎駿監督の映画「もののけ姫」が好きです。その中で重要なキャラクターである「タタリ神」を知ってますか?詳しくはこちらのサイトを参考にして欲しいのですが、コロナ騒動が起こって以来、私はこの「タタリ神」が頭から離れません。

というのも、「タタリ神」は「怒り」と「怨念」の結晶だから。そして、その「怒り」と「怨念」により、自ら身を滅ぼすと言う事を体現してます。

人間は不安になった時に、恐怖に慄き、その恐怖が怒りと憎しみに変わり、そしてその怒りと憎しみは怨念となり他者を攻撃する。

ウィルス感染者・死者拡大により、自宅待機を強いられ、働きたくても働けない人々がデモをアメリカ各地で起こしてますが、彼らの怒りはまさに恐怖と不安から来ているわけですよね。そして彼らの怒りの矛先は今、私たちを守ろうと必死に戦ってる政治家、はたまた医療専門家や医療従事者にまで及んでます。

マスクもせずに、ソーシャルディスタンスも無視して、デモに参加してた人たちの中に感染者が増えるのではという懸念が専門家から出されてるニュースも聞きました。これは身を滅ぼしてる行為。まさに「タタリ神」そのものではありませんか。

先にも書いた日本でのニュースも、まさに人間がもつ「タタリ神」から来てます。そして、誰でも「タタリ神」になりえます。「タタリ神」になるかならないかは、私たち一人一人が心の持ち用によると思います。

我が家のキッチンの窓越しにバードフィーダーがあります。そこにやってくる野鳥たちを観察しながら、私は日々思う事があります。

私が近くとすぐ逃げてします野鳥。喧嘩し合う野鳥。そして、私が近づいても、時として私をじっと見つめながら、ただ悠長に餌を頬ばる野鳥。

正しい科学の情報を元に、お互い防御するための基本対策をし、穏やかな物腰でどっしり構えて生きてる方が、もしかしたらこの危機から心身ともに生き残れるのかもしれませんね。

*写真は先々週に開花したクリーブランドのソメイヨシノです。

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