アメリカはここ、クリーブランド。

投稿者: えっちゃん (6ページ目 (161ページ中))

双子含む3児の母で、昭和レトロ・ヴィンテージデザインをこよなく愛し、地元コミュ運営しながら、ヴィンテージ雑貨や食器(Fire King・Pyrexなど)収集したり、webサイト作ったり、DIYしたり、たまに廃材を使ったリサイクル工作に熱中する在米日本人です。

差別の無い多様性のある未来を実現するため日々勉強してます。日々思ったことを不定期に書いてます。

オハイオ州の中絶に関する法的現状とこれから起こり得るシナリオ

日本のメディアではあまり大きく報道されてないと思いますが、実は今月5月2日に全米に大きな衝撃を与えた出来事がありました。

それが、これ。米国連邦最高裁のリーク事件です。

そして、なにがリークされたかというと、中絶を合法化した重要判決(Roa v Wade=「ロー対ウェイド事件」のロー判決)を覆す草案です。

じゃあ、どうしてそんなに大きな衝撃を与えたかというと、二つその原因の要素があります。

一つ目は、米国連邦最高裁のリーク事件は今までなかったという事実。いわゆる米国史上初であるということです。
二つ目は、その草案の内容が女性の権利に脅威を与えてるからです。

詳しくは、以下のニュースメディアをご参考にどうぞ。

もしこの草案が現実のものになり、中絶を合法化した重要判決が覆される事になった場合、各州は法的に大きな影響を受けます。特に、オハイオ州は保守派である共和党が州議会を過半数以上を占めており、今まで何度となく中絶全面禁止への動きがありました。

ですから、この夏後半に決まるであろう中絶禁止の行方と、それによってオハイオ州が受ける影響と起こり得るシナリオを、中絶における法的現状を交えながら、私なりにここでまとめて説明したいと思います。

そもそも中絶を合法化した重要判決(ロー判決)とは?

1973年に判決がおりた史上最も賛否を呼んだ事件の判決のひとつで、人工妊娠中絶をアメリカ合衆国憲法により保障された権利とし、同時に堕胎禁止を違憲とした判決です。ちなみに、ロー判決のことを、こちらではRoe v Wade(=「ロー対ウェイド事件」)と表記され、メディアなどで取りあげられる時にロー判決のことを指してます。

これにより、各州ではたとえ堕胎全面禁止は州議会で決議されたとしても、アメリカ合衆国憲法により保障された権利であるために、州レベルでは基本的に実施することはできません。すべての女性は中絶できる権利を持っているのです。

ただし、その中絶できる範囲の規定は州政府に委ねられているので、州によって中絶可能な週数と条件が異なります。また、市政府のレベルでは、堕胎禁止さえも法案が可決すれば、違憲とする控訴がない限り施行することができるのです。

では、オハイオ州の場合はどうかというと?

オハイオ州における中絶に関する法的現状

2022年5月現在、オハイオ州では一部の市を除き、中絶可能な週数は妊娠20週まで、つまり最終月経から約22週を数えた期間まで中絶可能です。

上記の一部の市とはLebanon市のことです。Lebanon市では、母体の命に危険がある場合のみ例外とし、去年5月下旬から中絶全面禁止されており、中絶をした個人、またそれを幇助(ほうじょ)した個人や医療機関は殺人罪に問われます。実際、この市には中絶処置を行う医療機関は存在しません。

数字上では妊娠週数20週〜22週までが中絶可能な範囲ではあるのですが、事実上は条件などがあり細かく制限があるので、全ての女性が中絶可能なわけではありません。以下にて、その制限内容を箇条書きします。ちなみに、参考元はGuttmacher Instituteファクトシートです。

  • 中絶を求める患者は、中絶処置を諦めるように説得する内容を含む州政府監督下のカウンセリングを受けなければならず、その後中絶処置を受けるまで24時間待機しなければならない。カウンセリングは個人面談で、待機時間が始まる前に実施されるので、結果的に中絶医療施設には二度足を運ぶ事になる。
  • 医療保険制度改革(通称:オバマケア)の下で、州政府と保険会社の交換条件により提供された保険プランは、命の危険がある場合とレイプによる被害、そして近親相姦による被害に限り、中絶医療処置をカバーする。
  • 公務員に提供される保険が中絶医療処置をカバーする条件は、命の危険がある場合とレイプによる被害、そして近親相姦による被害に限る。
  • 医薬品使用の中絶処置は、アメリカ食品医薬品局のプロトコル(ルールと手順)に沿って提供されなければならない。
  • 未成年の患者が中絶処置を受けるには、親の同意許可を得なければならない。
  • 命の危険がある場合とレイプによる被害、そして近親相姦による被害に限り、公的資金を利用することが可能。
  • (胎芽もしくは胎児の)心音の確認をしなければならないので、中絶処置を受ける前に、患者のほとんどが超音波検査を受けることになる。患者は超音波検査の写真を見ることを勧められる。
  • 患者の健康状態が生命の危機に晒されてる状況か、もしくは重度に健康を損なう状況である限り、受精後の妊娠週数20週か、もしくはそれ以上(最終月経から22週以内)に、中絶処置は行われることが許されている。この法律は、科学的根拠が乏しい主張(この妊娠週数の時点で、胎芽もしくは胎児が痛みを感じるという主張)からなり、医療コミュニティから拒否されている。
  • オハイオ州では、(胎芽もしくは胎児の)遺伝子異常を懸念した上での中絶処置は禁止されてる。
  • オハイオ州は、中絶医療施設に対し、施設自体と医療用具、そして職員に関連する標準規定が不要で重荷になる事を要求している。

ロー判決が覆された時に起こり得るシナリオ

前述しましたが、今年の夏後半にこのロー判決が覆されるか否か判決が下ると予測されてます。もしロー判決が覆されたら、今まで憲法違反とされていた堕胎禁止がアメリカ全土で法律上可能になります。

ただ、州によって独自の法律が存在するので、リベラルの多い州では堕胎全面禁止になる可能性は低いのですが、オハイオ州のような共和党派が過半数を占める州ではかなり大きくなります。

堕胎全面禁止はすぐならずとも事実上、中絶可能な規定が妊娠周期20週〜22週ではなくなるのです。

というのも、オハイオ州では、すでに2019年6月に知事により承認された改正法、Human Rights and Heartbeat Protection Act(人権と心音保護法)が存在し、(胎芽の)心音が確認された時点(妊娠周数が約5〜6週)で堕胎禁止となり、中絶処置を行った、もしくはその処置を幇助した医療機関や医療従事者は重罪の責務を課せられるから。レイプ、近親相姦、そして胎芽に重度染色体異常が確認されても、例外にはなりません。例外は母体の命と健康に危険が確認された場合のみ。

この法律が可決した後、連邦裁判所から一部の郡を対象に、一時的にこの法律執行を阻止する判決がありました。現時点で、この法律を施行してない一部の郡は、Cuyahoga, Hamilton, Franklin, Richland, Mahoning, Montgomery, そしてLucas郡の7郡です。言い換えれば、この郡以外の郡では執行されているのです。

しかし、この厳しい法律は存在し施行されてはいても、実際に検察官が個人や医療機関を起訴し、法廷で争うという可能性は確かではありません。その理由は、ロー判決により中絶が全ての女性の権利として憲法で守られてるからです。

では、ロー判決が連邦最高裁で覆されたらどうなるのか?

この上記で説明した改正法、Human Rights and Heartbeat Protection Act(人権と心音保護法)が、完全に施行されると予想されてます。

つまり、胎芽の心音が確認された時点(妊娠周数が約5〜6週)で堕胎禁止という法律がオハイオ全土で施行されます。たとえレイプの被害者でも、近親相姦の被害者でも、胎芽に染色体検査で重度染色体異常が確認されてもです。

さらに、現在いわゆるtrigger law(上記の「人権と心音保護法」を自動的に施行化するきっかけになる法案)と、中絶全面禁止する法案が出されてます。

なかでも中絶全面禁止法案には、実行不可能で八方塞がりな内容が含まれてます。その内容がこれ。

もし医師が子宮外妊娠を患った母体を救うために堕胎処置を行ったら、殺人罪に問われるのです。それを回避したければ、胎芽もしくは胎児除去後子宮に再移植をする必要があると。この胎芽もしくは胎児除去後子宮に再移植というような処置は、現在の医療技術では不可能なのです。

まとめ

テキサス州では、現在上記のHuman Rights and Heartbeat Protection Act(人権と心音保護法)と似た内容の法案が施行されてます。その法案の中には、上記にある子宮外妊娠の処置にも触れており、細かく曖昧な内容のせいもあってか、医師が処置を判断する上で混乱し、子宮外妊娠の患者が救急搬送されても治療を拒否するという事例も報告されたそうです。

先週5月19日には、オクラホマ州では米国で最も厳しい中絶禁止法案が議会で可決ました。その内容は、レイプと近親相姦の被害者を除き、全ての段階の中絶を禁止しており、言い換えればほぼ中絶全面禁止ということです。オクラホマ州では、数カ所の医療施設ですでに中絶に関する医療業務を停止してるそうです。なぜなら、医師達は当局の取締りを恐れてるから。

おそらく、オハイオ州でもそういった事例が、これから数多く見られる可能性が大きいと思います。もしかしたら、私が知らないだけで、水面下で似たようなことが起こってるかもしれません。これは貧富の差や肌の色に関係なく、妊娠可能な女性なら誰でも経験するかもしれないと思うのです。もちろん一番大きな窮地に立たされるのは、いつでもマイノリティや貧困層ではあるのですが。。。

また、政府のよる取締りが強化されれば、プライバシーの侵害にも繋がると懸念を示す専門家もいます。例えば、中絶禁止法が緩い他州や海外のオンラインショップを通して、中絶薬を注文したか否かなどを、警察当局が監視し情報を集める可能性があると。

とにかく、このような起こり得るシナリオは、女性の権利とプライバシーに大きな脅威を与えます。女性として、娘をもつ母親として、私は今回の件はどうしても見過ごすわけにはいきません。たとえ中絶自体が倫理上大きな賛否をもたらしてるテーマであってもです。

次回のブログ記事では、その辺の私の考えをもう少し掘り下げて詳しく書きたいと思います。


参考サイト

逃げきれなかった我が家

またしてもご無沙汰してました!約半年ぶりの更新ですね。このブログの放置期間がだんだん大きく広がるにつれ、まずいな〜と思いつつも、バタバタしながら結局時間だけが溶けていきあっという間に春になりました。

さて、実はですね、なんとつい最近コロナウィルスに感染してました。しかも次男を除くほぼ家族全員で!でも、今はもうみんな完治し復活しましたのでご心配なく。

今回の感染は突然やって来たわけではありませんでした。だっていつかは来るな来るなとずっと悟ってましたから。というのも、去年11月下旬からホリデーシーズン(感謝祭とクリスマス)が立て続けにあり、それと共に感染者数がこちらでは激増。そして、3月中旬の春休み前にアメリカ全体で規制緩和し、学校ではマスク着用義務がなくなり、復活祭の4連休が終わったかと思ったら、感染者が再び激増という流れでしたからね。

今まで感染者激増に伴い学校をあえて数週間休ませたり、発熱や風邪の症状があるごとに検査してはほっとするの繰り返しでした。でも今回だけはやはり逃げ切れることができなかったのです。

娘の検査結果はうっすら陽性でした。

我が家は皆フルにワクチン接種済みです。子供達は5歳〜11歳のカテゴリーなので、まだブースター(三回目の接種)はしてません。たとえフルワクチン・ブスーター接種済でも、月日が経つにつれて効果は落ちるので、100%感染しないわけではないですもんね。そして、周りがマスクをしなくなれば、たとえ自分がマスクをして予防しても、ウィルスの進入を完全にブロックする事はできません。いくらソーシャルディスタンスといっても、小さい子供なんかはほぼ無理です。大人でさえもできない人多いですからね。

だから最初に感染したのはプリスクールに通う娘でした。彼女が咳を少しし始めた時、また今までと同じ風邪かな?と思ったもの、その日に誘われてた誕生会には散々悩んだ挙句欠席し、その翌日に発熱したので、自分の勘は正しかった!とホッとしたものでした。

家族の症状を観察して思ったのですが、今回感染した株種はおそらくオミクロン株でしょうね。ワクチン接種済みというのはかなり大きいかもしれないけど、家族皆がちまたで言う「軽症」で済んだから。発熱は微熱(37°C〜37.5°Cあたり)で、たった1日しか続かなかったんです。あとは咳・喉の痛み・くしゃみ・鼻水と頭痛といった症状があったりなかったりの繰り返しが3〜4日続きました。特に子供達は軽症が著しく、症状が2日だけだったり、娘は咳だけ3、4日間酷かったり。厳密にはそれぞれ症状が多少違うけれど、食欲も常にあり寝込むことは全くなったですからね。もちろん臭覚損失もなければ、ブレインフォグや倦怠感といった後遺症もほとんどありません。とはいえ、今少しまだ喉に痰が絡む程度の症状は長引いてますが。

それにしても、政府が配布してくれた自宅検査キットはずいぶん重宝しましたよ。そして、この検査キットを使っての検査陽性反応は発熱してはじめて出ると言う事も学びました。PCR検査より自宅検査キットは精密ではないからでしょうね。だから逆に、陰性反応が出るのも、PCRでは回復後数週間は出続けるそうです。つまり、陽性反応から2週間後が自宅検査キットで陰性反応が出る安全ゾーンのようです。

さて、逃げ切ってる我が家の約1名なのですが、ここまで家族の大半が感染したにもかかわらず、未だ感染しないというのはどう言う事でしょうね。

ひとつだけ断言できるのは、やはりソーシャルディスタンスとマスク着用、そして消毒の徹底でしょうか。娘が感染してすぐ、彼は自ら進んで自己隔離してました。食事も別部屋でしトイレも別にし、私も彼も消毒を徹底的にしました。私に似て多少潔癖気味の傾向があるので、それが功を奏したのは確かです。

ちなみに、自宅検査キットで検査してもアプリ通して検査したので、結果は陰性・陽性かかわらず自動的にアメリカ疾病予防管理センターに通達されます。その後すぐ陽性報告が州保健局に行くと郡保健局から電話が来て、症状に関する質問をされ、隔離期間や隔離中の対策などの指導がありました。これが長い長い電話でね。やれやれってな気分でしたよ。同時に、未感染者の健康状態のトラッキングも始まり、そのトラッキングの入力要請が毎日届くんです。今だにそれが続いるんだけど、さていったいどれくらい続くのやら。。。

実は自分が感染するまで、正直感染する人は感染対策を徹底してないと思ってました。規制が緩むにつれ、マスクしない人は増え、やれパーティーだ!やれ旅行だ!と気が緩んでいく人たちが周りで増えて行きましたからね。そりゃあ、人が集まるところに行ったら感染するわな〜という解釈をしてたんです。

私を個人的に知る友人なら知ってると思うけど、我が家はどっちかと言うとアンチソーシャルで外食もほとんどしません。コロナパンデミックになってからも、レストラン店内で食事を一度もした事ありませんし、親戚や友人が集まるパーティーなどもずっと不参加。友達とお茶をし始めたのはつい最近の3月だったし、それでもマスクを着用し続け、ソーシャルディスタンスも徹底してました。周りはマスクはしない、大勢で集まる、ソーシャルディスタンスもしない状況だから、はっきり言って感染対策に関しては優等生でしたよ。

それなのに感染しました。

結局のところ、どんなに自分が感染対策を徹底してても、感染してしまう時は感染するのです。これはもう運でしかないですね。感染をしないためには徹底的に引きこもるしかないんですよ。パンデミック当初のロックダウンのような状態みたいにね。だからって、ずっと無菌状態の殻に閉じこもってたら、メンタルをやられちゃいますよ。少なくても、子供たちが受けた精神的ダメージは大きかったし。

今年に入って、ワクチンとが普及し治療薬も開発された状況に伴い、アメリカはマスク規制を緩めはじめました。社会全体がパンデミックからポストパンデミックに向けて動きだしてます。私たちのような健康なワクチン接種済み者は、たとえ感染しても軽症済むからでしょうね。だから、一番損するのはワクチン未接種の5歳以下の子供と基礎疾患持ちの人、そして老人、つまり弱者ですよ。この理不尽さにとても考えさせられます。本当にそれでいいのかと。。。

CNNの記事によると、今年2月時点で18歳以下の子供75%が、18〜 49歳大人64%が、50〜60歳の大人50%が、そして65歳以上33%がコロナ感染し、そのうち5歳以下の子供475人が死亡してるそうです。きっとこの数字は今では大きく跳ね上がってると思いますが、これがアメリカの状況です。

それでも、私たちは引き続き感染対策はし続けます。たとえ感染による多少の抗体が自然にできてもです。コロナウィルスは、次から次へと新種株を生み出しますし、これから数ヶ月後には、違う株が猛威を振るい感染するかもしれませんから。

とにかく、今回のことで色々学ぶことがありました。そして、いろいろ考えさせられました。それをどうしても文字に起こして記録しておきたく、こうやって長々と書いた次第です。

やはり健康が一番ですね。贅沢なものは要りません。たとえ地味な生活でも、家族が健康でいられる事が、何よりの幸せだなとつくづく思いました。

みなさんも、健康に気をつけて幸福な毎日を送りましょう!


一番上の写真はクリーブランドにあるソメイヨシノの開花です。復活祭前(4月17日)に開花しました。

あれから27年

またしてもご無沙汰しておりました。半年も更新しない間、あーっと言う間に秋になってしまいましたね。もう外は冷たい風が吹いて寒いですよ。まさに鍋が美味しい季節の到来!(とか言いながら、家で鍋なんかした事ないんだけど😅)

さて、私は相変わらず元気です。またいつ更新できるかわからないんで、最後にさらっとこの半年間の出来事はまとめたいんですが、実は最近どうしてもここに書き留めておきたい出来事がありました。ということで、それについてちょいと書きたいと思います。

アメリカに住み始めてもう23年になります。故郷の岩手を出てからだと27年ですね。そんな私、実は故郷の同級生とはなんとたったの二人しか繋がってないんです。中学時代の友達一人と高校時代の友達一人だけ。そう、それだけなんです。(うわ!寒っ😳😆)

いやホント今や賛否両論でなにかと世間を騒がせるソーシャルメディアですが、これがなかったらたぶんこの二人とも繋がってなかったと思います。はい、それくらい私ってアンチソーシャルな人間なんです。

そもそも私ってあまり友達いないんですよ。だってもともと内向的で自己肯定感低い人間ですからね。それに子供の頃から、どうも周りと合わないと感じながら生きて来ましたし。基本一人が好きで、きっと自分って変人にしか思われてないだろうなあって思ってたから、あえて積極的に自分から繋がろうともしなかったんだと思います。

とにかく最近、その貴重な友人の一人Aちゃんから連絡がありました。高校時代に仲良しだった共通の友人Sくんがあるドラマの映画化よる特別企画動画に出演したというのです。ホント最近のネット文化・テクノロジーの発展は嬉しいですね。昔じゃ簡単に観れなかった日本のメディアが、アメリカからも観れるんですもん。ありがたやありがたや〜ユーチューブ様!

さっそく教えてもらった動画をわくわくしながら観ましたよ。だってそのSくんとは20年以上も会ってないですから。しかもそれ以来、お互い連絡せずにいわゆる「疎遠」という形になってしまってましたからね。

そして観終わった私、なんとうるうると涙が出てしまったんですね。(はい、ワタクシ、最近更年期でパンツのゴムの如く涙腺ゆるいんです😅)

ただただ懐かしくって、なんか切なくなったんです。画面に写ったSくんは20年以上前とほとんど変わっていませんでした。お互い40代半ばも過ぎたのに20代の時と変わらず若い!そして相変わらずいい笑顔をしてました。

高校時代AちゃんとSくんと私はよく放課後美術室でたむろってました。ってか、それはちょい盛り過ぎ(😆)で、当時ちょうど受験の準備中で美大や美術関係の専門学校に進学するために、美術の先生の指導の下でみんな試験勉強をしてただけなんですね。

でも私、美大に進学するつもりじゃありませんでした。すでに進学を親に反対されてたんで、いわゆる「就職組」だったんですよ。だから私だけ本来所属してた運動部をサボって、彼らや他の美術部メンバーとたむろってただけなんです。

いやホントあの時間は楽しかった!みんなと帰り道にお好み焼きを食べに行ったり、好きなアーティストのビデオを観てだべってたり(=喋ったり)して、たわいのない話や漫画の話で盛り上がったり、美術の先生に連れられて盛岡(故郷宮古市のお隣で県庁所在地)の画材屋に行ったりいろいろ。私の中では、今思うと忘れがたい青春でした。

特に高校時代は人生で一番の暗黒時代だったからです。以前ここでも書いたけど、仕事で一年ほとんど家にいなかった父が退職し、姉達はみんなすでに家を出てたんで、気難しい父と過ごす家は本当にしんどい時期でした。だからあの頃のあの時間はまさにオアシスみたいなもんですね。私も本当はみんなみたいに美大行きたかったんだよ〜🥺

あれから27年。私はアメリカに帰化し、3人の子供たちの育児に奮闘する毎日を過ごしてます。一方Sくんは今メディアに名前も顔も出る有名人に!きっと売れっ子なんだろうな〜なんて勝手に想像しながら嬉しくなりました。

コロナパンデミックがまだ終わらない今、いつ日本に帰れるのかまだわかりません。たとえ多少規制緩和されたとしても、まだ小さい子供達を連れて隔離期間を日本で過ごすのはキツイですからね。やっぱり子供達がティーンにならないと無理だろうなあと、あまり期待せずにいつか日本に帰省できる事を夢見てます。

とにかく、ぶっちゃけ死ぬ前にでもAちゃんやSくん、そしてあの頃一緒に青春したメンバー達に再会できたら悔いはないですね。

そう、人間いつ死ぬかわからないわけで、この気持ちをなんとか文字に起こして置きたくなり、こうやってブログ記事を書くに至りました。

あらえっちゃん!なにオセンチな事言って!って思われるかもしれませんがね。でもやっぱり中年にもなると「老後」や「死」というものを身近に感じ出すんですよ。それに依然つづくコロナパンデミックで、すぐに飛んで帰れないという状況じゃないすか。やっぱり「死」というものを常に意識せざるおえません。

そんなわけで、これからも健康に気をつけて、いつか日本に帰省できるように毎日がんばりたいです。たま〜に、「おらあ、みやごさかえっりてえなあ」なんて泣き言を呟きながら😂

最後になりましたが、他人にとっちゃどーでもいい私のこの6ヶ月間を月別にしてメモっておきます。

さて次はいつ更新できるかな〜🤔😅😆


6月


夏休みがはじまったけど、サマースクールには入らずに公共プールの入場パスをゲット。息子たちの仲良し君家族と1週間に一度のプレイデイトをし、それ以外はプールに行ったり、近くの公園や川や湖に出かけたりと過ごしました。一方5月終わりからノミの攻撃にあって、6月前半は家中掃除にも明け暮れました。

7月


7月も6月とほぼ同じような感じであっという間に過ぎました。写真にはないけど、次男がコツコツ貯金してずっと欲しかったカヌーを手に入れ、州立公園にみんなで行ったんですが、暑過ぎて湖は藻が繁殖し泳げたもんじゃありませんでした。今年の独立記念日も人混みを避けるために、花火大会には行かず家で手持ち花火をしながら過ごしました。

8月


8月の中旬には学校がはじまりましたが、その前にいつも遊んでくれる息子達の仲良し君家族とはじめて週末を隣町トレドで過ごしました。これがこの夏唯一の家族旅行になりました。そして子供達は約一年半ぶりに学校に通い始め、子供達の笑顔と興奮が戻ってきました。夏の間マスク着用の義務が緩和されてしまったおかげで、予想通り学校も任意のマスク着用となり、コロナ対策に関してあまり良い雲行きではありませんでした。

9月


学校がはじまって1ヶ月後に息子の学校では感染者が増えて、息子もなんと熱を出してしまいました。はじめてのPCR検査をして、結果は陰性。そうこうしてるうちに、娘も息子から同じウィルスをもらい学校を休み、それから断続的に鼻水をたらして帰ってくる事がありました。やはり学校が始まると避けられない事なのかもですね。

10月


10月はじめまで暖かったので、週末は川あそびなどに出かけました。息子達の誕生日もやってきて、晴れて11歳になり感慨深いものがありました。最近では家のお手伝いが増え、自分の部屋の掃除やトイレ掃除までしてくれるようになったので、家事も少しずつ楽になって来たかなと言う感じです。

ところが、子供達が鼻水やくしゃみを学校から持ち帰って来るようになって、まあ、そういものなのかという感じで、自分も慣れて来た10月中旬過ぎになんと再び感染者が急増。ついに1週間の学年閉鎖がありました。その期間はリモート授業が可能だったので、早急な対応の速さに感心しました。

11月現在では息子達の学校は通常に戻り感染者数も減りましたが、娘の学校は感染者が先週出てしまい学校が閉鎖中です。昨日娘のPCR検査をして来ましたが、幸運なことに陰性でした。それなのできっとコロナパンデミックがつづく限り、この繰り返しなのかもしれませんね。昨日は5歳〜11歳のワクチン接種が可能になったので、今月中になんとかワクチン接種ができる事を今は願わずにいられません。

« Older posts Newer posts »

© 2024 RGBlog.net

Theme by Anders Noren上へ ↑