アメリカはここ、クリーブランド。

投稿者: えっちゃん (2ページ目 (161ページ中))

双子含む3児の母で、昭和レトロ・ヴィンテージデザインをこよなく愛し、地元コミュ運営しながら、ヴィンテージ雑貨や食器(Fire King・Pyrexなど)収集したり、webサイト作ったり、DIYしたり、たまに廃材を使ったリサイクル工作に熱中する在米日本人です。

差別の無い多様性のある未来を実現するため日々勉強してます。日々思ったことを不定期に書いてます。

脱ソーシャルメディアで得たもの

と言っても、完全にソーシャルメディアから脱したわけではないので、多少「釣り」っぽいタイトルではあるのですが、最近あるソーシャルメディアのアカウントを消して得たものについて書きたいと思います。

実はパンデミックちょっと前から去年暮れまで、某ソーシャルメディアにハマってました。そして、ハマりのピークはやはりパンデミックです。そう、そのソーシャルメディアとは、今や陰謀論や誤情報で溢れかえる「ペケ」(はっきり名称を書くのも嫌なんで)ソーシャルメディアのことです。

以前はあんなに荒れてなかったんですよね。誕生したばかりの2008年にアカウントを作って、それまでブログで交流してた方々とゆる〜く会話する場であったんです。使い方がイマイチわからなかった当初は、そんなに頻繁に投稿してたわけではありませんでした。

ハマり出したのは、娘が産まれたばかりの時あたりかな。そして、徐々にハマり出した理由は、育児に追われ自由な時間がないから、家事・育児をしながら簡単に見れるソーシャルメディアに精神安定を求めてたからでしょうか。育児の愚痴や日常で楽しかった事など手軽につぶやけるし、即座に同じような境遇にある方々の反応を貰えるから、まさに瞬時に脳内ドーパミンが大放出状態ですよ。

人からもらえる「共感」の言葉は、この上ない精神の安定を与えてくれます。でも自己肯定感に大きな拍車をかけ、時には暴走し過ぎてつい「承認要求」に苛まれる自分にも気づくんです。もっとみんなの反応を貰いたいという自分がいて、そんな自分に恥を覚えるもう一人の自分がいました。

一方それだけではなく、なかなか抜け出せなかった理由は、もうひとつありました。それは「情報」です。政治的にも社会的にも詳しい専門家や識者の情報は、ただニュースメディアを追ってるだけでは得られない特別なものがあります。つまり「実はこの背景にこんな事があった」といったような裏情報などです。

ただ、そういった情報は、時には「意見」なのか「事実」なのか、識別し難いというのが大きな問題でもあります。陰謀論は、おそらくそうやって世間に広まり、徐々に浸透して行ってるのでしょう。だから「陰謀論」にハマっている事にも気づかない人も多くいるのだと思います。

とにかく、今年に入ってあの「ペケ」ソーシャルメディアは、オーナーが変わってしまったのをきっかけに、メディアの方向性も180度変わってしまい、「炎上」目的でしか使わない人で溢れて返ってしまいました。そんなネガティブオーラに包まれるところに何を得るのか?という問いに得た自分の答えは「使用をやめること」でした。

とはいえ、あの空間で割と平和だった時代に得た出会いは、かなり貴重なものがあります。著名な著者や学者の方々との繋がりは欠けがないのものでした。ですから、完全にあの空間を去るのは、正直心苦しさを覚えたのは確かです。

でも、前述したように、あの空間が大きく変貌を遂げたのをきっかけに、賛同できない識者の方々はどんどんあそこを去って行ったので、私も彼らが移動した先「マストドン」*にも引っ越しました。たとえ以前ほど広範囲はないとはいえ、お互い築いた信頼の上に繋がってる方々とは引き続き交流できるので、緩く繋がり深い話ができるのは新しい発見でもあります。

私は基本的に、スマホの通知はテキストと電話以外は切ってます。なぜなら、スマホに自分の生活をコントロールされたくないからです。なにか通知があるたびに、やらなければならない作業を中断されるのは大きなストレスになるからです。そして、中断され、結局達成できなかったと言う事に落胆し、最終的には幸福感を得られないからです。

だから、たとえその他ソーシャルメディア的アプリ(私の場合、インスタとピンテレスト)をスマホで使ってても、通知は完全に切ってますし、投稿するより見る専門にして、うまくソーシャルメディアと付き合うようにしてます。フェイスブックは、アプリさえインストールしてないので、ブラウザから気分によって投稿したりしてますが、あまり時間は費やさないようにしてます。

さて、肝心の「脱ソーシャルメディアで得たもの」なのですが、結局のところ「幸福感」です。直接得たものは「アナログ時間」ではありますが、スマホやパソコンを見ない自由な時間で得たものは、やはり「幸福感」そのものなのです。

なぜなら、そんな自由な時間に、私は読書をしたり、クラフト・アート制作に打ち込んだりするようになったからです。誰かの反応を気にせずに、自分のためだけに費やす時間は、この上ない達成感と幸福感を与えてくれます。特に就寝前に、こういったアナログ時間を設けると、睡眠の質もずいぶん違うことにも気づきました。

質の良い睡眠は、翌日1日の生産性を高め、よりよい幸福感を与えてくれます。だから、よっぽど必要なことがない限り、就寝前のアナログ時間を意識的に取り入れるようにしてるんです。

私がハッピーだと、家族もハッピーになります。これ、嘘のようで本当のこと。子供達がハッピーだと、子供達も意欲的になり、学業成就に繋がってると信じてます。まあ、飽くまでも私個人の経験から言えることですがね。

最後になりましたが、「スマホとソーシャルメディアとメンタルヘルスの因果関係」が学術的にも立証されてるので、それに関する記事の数例を貼っておきますね。

  1. 「How Our Relationships With Our Phones Affect Us」(NRR 1A より)
  2. 「SNSが10代のメンタルヘルスに及ぼす悪影響とは 米公衆衛生のトップが勧告」(Yahoo!Japanより)
  3. 「メンタルヘルスの専門家が明かす、ソーシャルメディアを休むことの重要性とその具体的な休み方」(Business Insiderより)

10代だけではなく、大人も十分影響を受けてるので、なぜ自分は満たされないのか?なぜ幸せではないのか?とお悩みでしたら、一度スマホやSNS断ちするのも良いかもしれません。

「マストドン」(=mastdon)とは、分散型ソーシャルネットワークで、従来のソーシャルメディアとは異なり、サーバーが分散されており、それにともない所有する企業の存在はほぼ無く、サーバーごとに企業であったり、個人であったりと様々です。

レジリエンスが強化された夏休み

実は夏休み後半の日記を途中まで書いてたのですが、ベラ嬢の死という家族にとって大きな出来事が起こってしまい、書きかけのブログがずっとそのまま放置となってました。せっかくなので、ちゃんと仕上げて以下にて更新しておきますね。ちなみに、8月下旬に書いたので、記事前半は季節的にその当時のままです。

— 以下本文 —

早いもので2ヶ月半という長い長い夏休みも終わり、やっと学校では新学期が始まりました。

それにしても、日本をはじめ世界では猛暑猛暑で大変ですよね。それに引き換え、ここ北西オハイオ州界隈は例年よりも涼しくて、我が家では涼を求めてビーチに出かけたのはたった1日だけだったんです。まるで、かつての故郷岩手沿岸地方を思い起こす涼しさ!

そんな夏休みについては、前回ブログ記事でいろいろ写真と合わせて書きましたが、実は7月末に家族旅行に行って来たんです。

滞在した先は、オハイオ北部から車で6時間のメリーランド州です。数年ぶりに会う親戚が州都アナポリスにいるというのもあったし、メリーランド州東海岸沿いにある島とボルチモアの水族館に子供達を連れて行きたいという理由からメリーランド州をバケーション先に選びました。

親戚との交流、水族館、そして島に滞在する前に滞在したリゾート地は、それなり家族みんな楽しめたのですが、島での滞在がなかなか積もる話で、それについてちょっと詳しく書きたいと思います。

その島、Assateagu Islandは、野生の馬が生息し保護されている国立公園です。実は、20年前に夫と初めてキャンプをした島でもあるんです。私たちがキャンプした時は、ビーチの敷地内ですぐ海にも歩いていける素敵な場所でした。野生の馬が群れをなしてビーチをさまよう光景はもう最高でしてね。それもあって、子供達に同じ体験をさせたい!という思いから、一晩だけキャンプを試みたんです。

ところが、2ヶ月前に予約を入れた時は、ビーチ沿いのキャンプ場は満員御礼状態!仕方ないから、ビーチから離れた湿地帯側のキャンプ場に、私たちは滞在することになりました。

早く島に到着したので夕方までビーチで遊んで、その後キャンプ場に向かいテントを張る作業に移りました。国立公園の公式ウェブサイトにも注意書きはあったのですが、やはり蚊の量が半端なくてですね。おかげで、子供達は海で遊んで疲れた影響もあり、ブーブー文句を言い出したんですよ。

そうこうしてるうちに夕飯時になり、キャンプ恒例のキャンプファイヤーに点火、そしてホットドッグを調理する段階になったわけですが、なんとここで大事件が起こりました!

まあ、大事件と言っても、そんな大した事じゃないんですが、子供達にとっては大事件ですよ。そもそも、キャンプファイヤーを起こす段階で、すでに野生の馬の親子が私たちの周辺に現れ、その辺の草を食べ始め、なかなか移動してくれなかったんですね。

野生の馬は、人間の食べ物を狙うと注意書きがあったし、場合によって凶暴になることもあるから近づかないようにとも注意されてました。だから、彼らが寄ってくる度に、ピクニックテーブルから食べ物を取り除き、近づかないために家族で車に避難をせざる負えません。

それが一回だけなら、「野生との遭遇!」という事で、なんとも素敵な思い出になりうる出来事ですよ。ところが、この親子ったら一度は他のキャンパーのエリアに移動したかと思いきや、何度も私たちの周辺にやってくるわけですね。

ピクニックテーブルに食事を広げ、さあ食べよう!とする度に、また近くに寄って来ては悠々と雑草を食べるんです。あまりに何度も起こるもんだから、お腹空いてる子供達の堪忍袋が切れる寸前でした。

そして、ついに堪忍袋が切れる事件が!なんといきなり藪の間から雄馬がヒヒーン!って雄叫びをあげながら走って現れたんです!その雄馬は、私たちのテントの数メートル先に、大きな置き土産をどっさりと残して行きました。一方そこにすでにいた親子の馬たちも雄叫び上げて、なにやら小競り合いでも起こりそうな異様な雰囲気だったんです。

あまりに突然の出来事で子供達は驚きと恐怖でいっぱいだったのでしょうね。馬達がやっと去ったあと、子供達は、もう嫌だ!お家に帰りたい!と泣き叫ぶという事態になりました。

やっと馬達が去り、夕飯も無事終えたときはすでに夜8時。次男はストレス発散に、一人でローラーブレードで周辺を散歩しにで出かけました。昼間も一人で園内周辺地図を見ながらローラーブレードをしてたので、きっと夕暮れには帰ってくると思ってたんです。

ところが、10時に近くになっても帰って来ないので、心配になって夫は彼を探しに出かけました。一方、娘と長男は、絶え間ない蚊の集団攻撃にブーブー言ってて、テント内に入ってもなおブヨみたいな小さな虫(名前忘れましたが)に刺されるもんだから、ついに泣き出すは癇癪を起こすはで、私もストレスマックス状態でした。

結局は何事も大事に至らず、夜11時近くに夫は次男を見つけ出し帰って来ました。でも蚊の攻撃はもちろん止みません。息子たちは耐え兼ねて車に移動し、私と娘と夫は蚊の攻撃に合いながら、ほとんど眠れない蒸し暑い夜をテントで過ごしたわけです。

こんなストレスマックスで惨めな思いをしたのは、数十年ぶりではないでしょうか。子供達にとっては、もちろん初めて。おかげさまで、Assateagu Islandを去って帰路に着く間ずっと、子供達は「もう島でのキャンプは懲り懲り」と繰り返し話してました。いわゆるトラウマになったのでしょうね。ああ、最悪の夏休みの思い出になってしまったなあと、内心私も少し落ち込んでました。

ところが、同時に興味深いコメントも息子達からもらったんです。島でのキャンプは懲り懲りだけど、オハイオ近場でのキャンプは嫌いじゃないと。そして、今回の体験は忘れ難い思い出になるし、全体的には水族館も楽しかったし、親戚と交流できて楽しい旅行だったと言うのです。

その時、息子たちがいかに精神的に成長したか実感させられました。そして、最悪である状況を客観的に捉え、ポジティブに分析している姿に、この子たちのレジリエンス力を目にした瞬間でした。

たぶん子供の頃の私だったら、ただただトラウマになって、もうキャンプはもちろん、アウトドアアクティビティ自体も「嫌な要素」としてしか受け取らなかったでしょう。事実、子供の頃の惨めな思い出のおかげで、私は真冬のスキーがあまり好きじゃないんです。

ちなみに、レジリエンス力とはこちらの記事「『逆境に負けない子』に育てることが今必要な理由」(東洋経済オンラインより)によると、一言で言ってこれだそうです。

逆境や困難に遭ったときに、そこから立ち直る力

やや親バカに聞こえるかもしれませんが、実は我が家の息子たちはレジリエンス力があると感じる事が多々あります。「ひええ、私だったら絶対無理!」と思う事を難なくこなす事もあり、親である私が感心する事が割と多いから。(はい、親バカですね😅)

だから今回の出来事でのコメントは、ある意味予想内のコメントでもありましたが、こうやって直接ポジティブなコメントをもらうと、落ち込んだ私も速攻元気になります。そして、また子供達の成長に喜びを覚えますもの。

とにかく、育児とは親も子も同時に成長しているのだと、つくづく思うのであります。「またあの島でキャンプをしたいか?」と自分に問うとしたら、おそらく「たぶん大丈夫!行けると思う。また挑戦したいと思う。」と答える自分がいるのにも、私自身驚いてます。それくらい、自分自身も成長したなと思うのであります。

息子たちは今週末(10月中旬)、13歳になります。今、中学2年生です。子の成長は過ぎてみると本当に早い!あっという間に車を運転し出し、あっという間に巣立って行くのかと想像するとやはり寂しいですね。

こちらはもう木々が色付き始め、すっかり秋も深まって来てます。これから寒い冬がやって来ますが、お互い体調に気をつけてあと2ヶ月しかない2023年を楽しく過ごしましょう😊

さよならベラ

ご無沙汰しております。またしても2ヶ月ぶりの更新ですね。

気が付くと長い長い夏休みも終わり、こちらでは新学期が始まっておりました。

さて、実は夏休み後半の出来事について途中まで書いていたんです。でもその記事を書き終わる前に、私たち家族にとって大きな出来事が起こってしまいました。それについて、ちょっと書いてみます。

我が家のペット犬を覚えてますでしょうか?名前はベラ。子供達が生まれる前から、このブログを見守って下さってる方なら聞き覚えがあるかもしれません。

ベラは、2009年2月に生まれたと推定される雑種の犬です。2009年12月に、動物保護施設から譲渡してもらい、我が家にやってきました。当時9ヶ月の子犬で、先代クロが悪性リンパ腫で亡くなった数ヶ月後に、我が家のペットの三代目として、残されたハチの妹分パートナーになりました。

スレンダーな容姿で綺麗な模様がある毛並みなので、道ゆく人達によく可愛いと褒められる子でした。若い頃はやんちゃで気が強いので、人間以外にはあまり愛想はよくなかったのですが、歳を重ねるうちに落ち着き始め、白内障を患う頃にはすっかりお淑やかなお嬢に成長してました。

そんな彼女でしたが、実はこの週末、虹の彼方へ旅立ってしまいました。享年14歳半。人間の年齢に換算すると102歳半です。100歳以上なんて大往生ですよね。まさに凄く長生きしたおばあちゃんですよ。

つい一年半前までなんて、庭でリスを追いかけ回すほど元気だったんです。大雪が降った翌朝なんか、年甲斐もなくグルグル庭を駆け回ったりしてね。一年検診で獣医さんに診てもらう度に褒められるほど、年齢の割に元気な子でした。

しかも、去年の今ごろにも、老犬が一般的に患う前庭疾患(=Vestibular disease: 平衡に異常を来す症状)を発症してたのですが、数ヶ月後にはすっかり回復し、普通の生活に戻ってたくらい頑丈な子だったんです。

とはいえ、やっぱり歳には勝てなかったのでしょう。今年の6月ごろから徐々に食欲が減り始めたんです。同時に、軽度の嘔吐と下痢をときおり繰り返してました。レントゲンや血液検査をしても、これという確定した病気は見つかりませんでした。その後、赤血球の減少が著しいから、エコー検査でもっと詳しい原因がわかるかもしれないと言われました。

でも、その時点ですでに、彼女の食欲は悪化するだけで、食欲増進剤をもらっても改善せず、彼女の体力は日に日に落ちいていく一方でした。そこで、これ以上の彼女への負担と医療費をかける意味は何か?と、私は自問自答してました。

結局このエコー検査はせず、また試験的な治療としてステロイド薬投与も勧められましたが、副作用による更なる体への負担を心配し、治療はしないことを決意したのです。

そして、レントゲン検査のちょうど2週間後、ベラは自分でベッドから起き上がることが出来なくなりました。なにを与えても殆どなにも食べようとしません。犬用おやつをほんの一欠片食べた程度。水も前ほど飲まなくなり、亡くなる日の朝は全くなにも口にしませんでした。

犬のクオリティーオブライフは、飼い主との触れ合い、元気に駆け回れること、自分で用を足せること、そして満足行く食事と睡眠だと言われてます。それが犬として幸せに生きてると言うこと。

でも、それが出来なくなった時、犬は本当に幸せなのか?

先代犬ハチもクロもクオリティーオブライフを失った時、私たちは人生でもっとも辛い決断を迫られました。誰だって自らの手で愛犬の命を断ちたいわけではないです。もしかしたらまだ回復する可能性はあるかもしれない、もしかしたら今じゃないのかもしれないと迷います。

それでも、食いしん坊だったかつての彼女は、もうそこにはいません。甘えん坊だったかつての彼女は、私たちを目で追う事すらできません。ただただ横になって、荒々しく息をしてるだけです。痛みと必死に闘ってる惨めな彼女しかいません。

そんな痛々しい姿を見ていて、私はもの凄く苦しくなりました。もう楽にしてあげたいという思いでいっぱいでした。14年以上も頑張ったからもういいよね?

すっかり痩せ細った彼女は、土曜の午後、静かに眠るように穏やかに逝きました。

「後悔があるか?」と問われたら、「ない」と答えるけど、「罪悪感があるか」と言えば、ないとはいえません。それはこの決断に対する罪悪感ではなく、元気な時にやりたくても出来なかった色々な事に対してです。

とはいえ、今や仕方なかったとしか言い様はないですね。それより、14年以上も一緒に生活できたからそこに焦点を当て、これでよかったのだと自分に言い聞かせるしかありません。

たったの3日前に起こった事なので、まだペットロスの状態ですが、ここで書く事により気持ちが浄化されるのであえて書いてます。

生まれた時からベラを溺愛してた娘は悲しみに暮れてましたが、昨日はベラのベッドにメモリアルを作り、彼女なりにヒーリングプロセスを進めてます。そんな姿を見て、子供というのは自己治癒力が凄いなと感心してしまいます。むしろ私の方が、ダメージをかなり受けてるのかもしれません。

たとえ失った愛犬は3頭目だといえ、辛いものは辛いですよ。彼女がまだそこに居るのでは?と錯覚しては、涙が溢れてきますから。

これから娘とベラの思い出アルバムを作る予定です。ぬいぐるみも作ろうと話してました。

なんとかヒーリングプロセスに打ち込もうと思います。

あとは時間しか解決してくれませんからね。

がんばります。

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