アメリカはここ、クリーブランド。

投稿者: えっちゃん (11ページ目 (161ページ中))

双子含む3児の母で、昭和レトロ・ヴィンテージデザインをこよなく愛し、地元コミュ運営しながら、ヴィンテージ雑貨や食器(Fire King・Pyrexなど)収集したり、webサイト作ったり、DIYしたり、たまに廃材を使ったリサイクル工作に熱中する在米日本人です。

差別の無い多様性のある未来を実現するため日々勉強してます。日々思ったことを不定期に書いてます。

バイリンガル育児してませんが、なにか?

やっと復活しましたので、それを祝ってまたブログ投稿です。

っていうのも、実は先週の感謝祭連休は感謝祭どころじゃなかったんです。そう、家族みんなでインフルエンザ(?風邪?)にかかってしまったんですね。

幸い今年は子供達の学校の都合上、急遽義理家族がこっちにやってくる事になったので、感謝祭ディナーは彼らにほぼ全てを作ってもらいました。夫と子供二人は発熱中ではあったけど、元気な次男と義理家族、そして私のためにディナーを食べたようなものでしたが、子供達はずっと楽しみにしてたので、義理家族には本当に助けられたわけです。

とにかくその後、家族順々にウィルスが移りまくり、週末も週末明けもずっと引きこもり。そして今週中旬やっと家族みんなで完全復帰となりました。

さて、前置きがかなり長くなりましたが、肝心なお題の方に入りたいと思います。
そう、バイリンガル育児!
はい、ワタクシもう諦めました。
もう一生懸命頑張るのを辞めたんです。

え?そんなんでいいの?なんかそれって子供が可哀想じゃない?日本の家族と話せないのって親不孝じゃない?なんて言う批判の声が聞こえて来そうですが、良いんですよ。外野はなにやったって、あーだこーだ言って来るものですから。

じゃ、なぜに辞めたのか?というとですね。やっぱり無理があるからです。そもそも息子達の方はもう随分前に諦めてましたしね。周りに国際結婚家族が頑張ってるから、なんか一人で頑張ってなくて罪悪感はあったものの、やっぱり日本語教育をしていく状況は厳しいものしかなかったんですよ。

というのも、我が家はバイリンガル育児をやって行ける環境も揃ってなかったし、なによりも我が家にとって英語に軸を置いて育児をする事にメリットが大きいとわかったからです。

いろんな国際結婚家族を観察して思ったのですが、バイリンガル育児が成功する、つまり子供が日本語も英語も話せるバイリンガルになるには、ある条件が揃ってないといけません。それがこれ。

  • 子の両親が日本語を話す。
  • 母親が日本語話者で、育児をフルタイムで担当している。
  • 日本語話者である母親のワンオペ*が多い。
  • スカイプ電話などしたり日本の家族と交流が頻繁である。
  • 日本に長期帰省する回数が多い。(例:年に一回帰省)
  • 日本の家族との絆が深い。
  • 日本語補修校に通わせるために、土曜日を補修校のために確保し優先してる。

これら全てが当てはまってるか、もしくはいくつか当てはまってると、子供の日本語は意思疎通を簡単にこなせるまで上達すると思います。

一方、うちはどれも当てはまりません。なにひとつもです!

そんな状況で、いくらアンパンマンのDVDを見せたって、いくらしまじろうの絵本を見せたって、いくら私が変な日本語を駆使してまで話しかけたって、子供が意思疎通をできるまで日本語が上達するはずがありません!

むしろただただ精神的に疲れるだけです。というのも、子供のしつけをする上で、両親のしつけの仕方(言語)が一致しなけれなば、子供は混乱し正しいメッセージも伝わりません。そして親はただイライラしてしまいます。親にとっても、子にとっても、それは決して良いことではありません。

私にとって、育児を夫や義理家族に手伝ってもらう事、家族全員が同じ言語で話し家族の団欒が楽しい事、学校など社会での素行が良い子に育てる事などなどが最優先でした。それを実行するためには、やはりバイリンガル育児には無理があったのです。

とはいえ、日本語のインプットを断ち切ったわけではありません。娘には今でも日本語で話すこともありますし、息子達が興味を示せば日本語単語を教えたり、文化や習慣を教えたりしてます。もちろん食事だって、日本食は欠かせません。

日本語はまったく話さないけど、日本関連の話題や人が本やテレビで出て来る度に息子達は嬉しそうに話ます。それは自分たちのルーツを理解し愛着を持ってる現れだと受け取ってます。親子の絆が強ければ強いほど、それは決して断ち切れるものでないし、消えることではないと信じて疑いません。

だから、いつか将来彼らが本気で日本語に興味を持ち出したら、惜しみなくサポートするつもりです。逆にまったく興味を示さなくても、それはそれで仕方ないかなと思ってます。日本にルーツを持つからと言って、日本語力を持っていなければいけないわけじゃないし、それを親が強制することも良く無いですからね。

最後になりましたが、最近こんな記事に出会いました。ちょっと古い記事なのですが、内容にとても共感を覚えたのでここでも紹介しておきますね。

日本の親が気づけない「子供をバイリンガルに育てたい」の危険性 —MAG2NEWS

記事文中内にあるこの部分に、私は同意見です。

子どもにとってもっと大切なことは、他にある。身体にそなわった感覚をフルに使って経験値を高めること、思考力を鍛えること、安定した自信を築くこと、他の人への共感を深めること、コミュニケーション力をつけること、知りたいと思う意欲を伸ばすことなどだ。

病み上がりに娘がまず最初に食べたいと言ったものが「おにぎり」である限り、私はそれで十分幸せだと思う今日この頃です。😊


*ワンオペ(=ワンオペ育児):配偶者の単身赴任など、何らかの理由で1人で仕事、家事、育児の全てをこなさなければならない状態を指す言葉である。 母親1人を指す場合がほとんどで、「ワンオペ育児ママ」という派生語もある。 「ワンオペ」とは「ワンオペレーション」の略で、コンビニエンスストアや飲食店で行われていた1人勤務のこと。(引用元:コトババンク

子への依存は毒でしかない

はい、珍しく続けてブログの更新です。
前回の記事がなかなか好評でしてね。
予想以上にたくさんの方に読んでもらい、いろいろなコメントも個人的に頂いたのでもう嬉しくって!
滅多にそういうことないもんだから、ワタクシ調子に乗ってまた更新しております。

さて、今朝ツイッターで呟いたことがまたしても予想を反して、みなさんから反応してもらえました。
それがこれ↓

ということで、これについてちょっと書いてみます。

私の父については前回の記事で書いたので、詳しくはここでは書きませんが、私の父は子供達に恩を着せる人でした。「お前を育ててやったのだから、老後はお前に任せる。家を継ぐのはお前の義務である。」などと、子供達に子供の頃から言い聞かせ、それに反したコメントをすると、すごい形相で「親に対してそんなことを言うのか!誰のおかげで生活できると思ってるのか!」と怒鳴りちらすのが日常でした。

え?聞き覚えあるって?
そう、そうなんです。似た様なセリフやシーン、日本映画やドラマでも見聞きしたことありません?

そしてさらに、いろいろな人の話を聞くうち、実は私の父は珍しいわけでもなんでもなかったのですよ。そう、それが普通の日本の頑固親父の肖像であり、「親が苦労して子を育てたのでだから、子はその恩を返すのが当然である。それが親孝行。」というのが社会の中に浸透してるわけです。

え?それって普通でしょ?っていう人も読者の中にいると思います。確かに親孝行するのはいい事ですよ。でもそれを親が要求して精神的に圧力をかけるのは間違いです。子はただその圧力から逃げたがるだけ。結果的に親子関係がこじれるのは当然のことです。

日本は昔から家父長制度と世襲制が強く根づいた社会ですよね。「家」があり、子は「家」を継ぎ、親の老後の面倒を見るのが当然であるという社会的圧力があります。でもそれがいかに病的であるか、私は日本を出るまで気付きませんでした。いや正直、そこまで人間のメンタルを蝕むか、子供たちが生まれるまで気付きませんでした。

そもそも「子供の人権」が騒がれるようになったのもここ数年のことですよね。子は一個人であるというより、子は親の所有物のように扱われてます。つまり、子の意思とは別にやりたくない事をさせられたり、子のためと言って親は子をコントロールしようとします。そして、子がそれに反すれば精神的圧力をかける。これは明らかに子への依存です。子がメンタルを病むのは当然のことです。

私の母は昔から父とは真逆でした。「えっちゃんが嫌ならやらなくてもいいよ。えっちゃんがやりたい事をしていいからね。」と言ってくれました。そう言ってくれたおかげで、たぶん自分は自分が信じる道を歩んで来れたのだと思います。

ちなみに、私は義理両親に老後何かあったときは喜んで面倒をみたいと言ってます。でもよっぽどの事がない限り願いは叶いそうにありません。なぜなら彼らは私たち達の自由と権利を尊重し、また自分自身の自由と権利を尊重してるからです。つまり誰にも頼らず自力で自分の心地よい空間で自由に生きるという事を尊重しているのです。

人生の幸福は、知恵をつけ、自分で考え、誰にも依存することなく自由に生きることだと思います。だから依存する事は毒でしかないんですよ。それは親にとっても子にとっても。

だから何度でも言いますよ。しつこいくらいに言いますからね。

親は自分の人生を歩むべき。
子も自分の人生を歩むべき。

はい、ここまで長々とえっちゃん節を読んでくださりありがとうございましたー😊


【追記】老後の現実的な話、つまり経済力や家族の協力については、また別問題なので、ここでは深く言及しません。精神的依存がもたらす精神的ダメージについて書いただけですのでご理解ください。

父との和解

久々に真面目な内容の投稿です。
っていうのも、実はずーっとこのテーマを書きたかったんですよ。そう、ちょっと重い親子のテーマみたいなもの。ずーっと喉の奥に突っかかってたものだったので、自分の人生に向き合う意味でずっと書きたかったんです。

結論から言うと、今まで自分が抱えてた人生の生き辛さは親子関係が原因であり、それを認知し対処できるようになり、最近やっと安定し、幸福を心の底から感じれるようになったと言う事を書きたかったんですね。

私が言う「生き辛さ」とは、自己否定とネガティブ思考が根底にあり、常に自信が持てず、他人も信用できず、負のスパイラルに陥ってしまう事。つまり何か困難に躓いたとき、ネガティブ思考に陥り、そこから這い上がるまで時間がかかる生き辛さです。

それが頻著に酷かったのは、大学卒業後の就職難に陥った時、不妊治療で悩んだ時、そして産後鬱になった時でした。カウンセリングを受けたり、鬱などに関する本や記事を読んだりして、自分なりに対処の仕方を学んだわけです。

さて、なぜにあえてこうやって書きたい!と思えるようになったのか?それはあるエッセイに出会ったのがきっかけでした。そう、それがこれ↓

私、親子をやめました。「親と絶縁」して幸せになれた理由 —アルテイシア (マイナビウーマンより)

言っときますが、記事の題名だけ見て、「え?えっちゃん、親と絶縁したの?」なんて勘違いしないでくださいね。全く絶縁なんかしてませんよ。

とにかく先に記事を読んで頂きたいのですが、自分の生き辛さを明確に言語化してくれてる記事で、肩から力がストンと抜けるくらい納得いく内容だったんですね。そうか、やっぱり自分、ちょっと病んでたんだって。でもそれは自分のせいじゃ無かったんだって。

ってなことで、他人からしたらどーでもいい私の親子関係なるものを語ってみたいと思います。

当ブログをずっと読んでくださってる方ならお気づきでしょうが、私の父は12年前に他界しました。そして父とはあまりいい親子関係ではありませんでした。いや、もしかしたら父はそんな風に微塵も感じもせずに、あの世に行ってしまったかもしれません。

というのも、父の存在に悩まされたのは本人以外の家族だけでしたから。だって、母は癌闘病中の父を献身的に介護し、父が望むように最後を見届けましたしね。娘の私たちも表立って、テレビで観るような激しい対立や確執があったわけでもありません。長女の姉なんかは、父が癌と診断されてから実家近くに夫と住むようにもなりました。私も結婚した時でさえ、とりわけ反対されて親子の縁切りとかドラマチックな事があったわけでもありません。むしろ普通にすんなりと結婚も認めてくれたし、父もどうやらアメリカにいる自慢の娘と人にも言ってたらしいのです。

じゃあ、なぜにあまりいい親子関係ではないのか?それは私が長い間、父の存在に悩まされたからです。それは父が亡くなっても続きました。生前は母も姉たちも同じように悩まされました。父はいわゆる典型的な亭主関白でカンシャク持ち。近代日本では普通にある家父長制度を純粋に守った人でした。そして、いわゆる最近日本でもよく耳にするようになった「モラハラ*」をする人だったのです。

いや、そんなの日本じゃ普通じゃね?なんて思う人は多い事でしょう。むしろ普通過ぎてそれに気づいて無い人も多いかも。だって、つい最近までDV(=家庭内暴力)さえも認知度あまりなかったですしね。だから肉体的DVもなかったのに、親の事をこうやって悪く言うなんて酷い娘とも映るかもしれません。

とにかく、父は世間では明るく人当たりがとても良く、地域のためによくボランティアもする模範的な人でしたが、家庭では家族にモラハラを平気でする人でもあったんです。

そして、父のモラハラがピークを達したのが私が高校入学した頃でした。父と母の喧嘩が毎日絶えず、学校での成績が一気の降下し、以前にも当ブログ記事でも少し触れましたが、アメリカ留学への夢が断ち切られ、私にとってかなり辛い時期でもありました。その時の自分は、とにかく家を出たくて仕方ない!という精神状態であったんですね。

それから、関東で就職を決めやっと実家も出ても、その後夢であったアメリカ留学を果たしても、常に自分に自信なく、なんとなく生き辛さを感じ続けてました。そして夫と運命的な出会いをし結婚を果たしても、なぜか幸福を感じることが出来ず、可愛い息子たちが生まれても、あまりの育児の過酷さに産鬱になり、その後も常にダークサイドに落ちやすい自分がいたのです。

そんな中、鬱関連の書籍を読み漁るうち、アダルトチルドレン**という言葉を知りました。そして、自分はそのアダルトチルドレンだったのかと納得したわけですね。そして、ポジティブ思考の夫や義理家族の影響もあり、少しずつ自分がダークサイドに落ちた精神状態を認知・客観視し、ポジティブ思考にシフトして行けるようになりました。

そして、アルテイシアさんの記事に出会い、なんだかすっかり気持ちが軽くなったんですよね。面白い事に、父に対する気持ちの変化も起こりました。とにかく嫌いで仕方なく、たとえ少しでも良い面あってもそれを認めたくない自分がいたのですが、ここ最近では、子供の頃に見た父の笑顔や楽しい思い出が夢にまで出てくるようになったのです。

とはいえ、きっとこれはアルテイシアさんの記事だけが、変化をもたらしたわけではないかもしれません。今3人の子供達の親になり、子供達と毎日やりとりをする度にいろいろ考えさせられます。自分が経験した辛い思いを子供たちにさせたくないという願いが強いのは確か。同時に自分の親を客観視できるようにもなったという自分自身の変化も、大きく関連してるのかもしれませんね。

そして、冷静にこう考えるようになりました。父もきっと機能不全家族で育ち、モラハラがピークを迎えたあの時、彼も鬱状態だったのだろうなと。(事実、当時の父は長年勤めた会社を自主退職したばかりだったから。)

とにかく、そんな自分の気持ちの変化を私はこう勝手に呼んでます。

父との和解。

父が亡くなった時、母がこう言ってました。
「お父さんが息を引き取ったとき、なんかもう愛しくてね。抱きしめたくなったのよ。」と。
この言葉が今でも強く脳裏に残ってて、思い出す度になんとも言えない気持ちが湧き上がって来るんですね。

また、娘が引き出しにしまってある指輪を取り出して遊ぶ度に父を思い出すんです。それは母が若い頃に父からもらった指輪で、母が最近譲ってくれたものでした。「ほら、えっちゃん、小さい頃この指輪欲しいって言ってたでしょ?」って言いながら。子供ながらに二人の間にある「愛」というものを見て憧れたのかもしれません。

全ての子供は生まれた時から、両親には仲良しでいて欲しいと願ってます。たとえ子供がそう直接言わなくても、家庭は安心できる唯一の場所であるから、愛し合ってる両親を見て子供は心底安心できるんです。

だから父が母に送った指輪を見ながら幸せな気持ちになり、今やっと自分は安心できたのかなと思ったりもしてます。

これからこの先いろんな事が起こり、その度に落ち込んだりすることがあると思います。それでも対処の仕方を得た今、たぶん昔のような自分にならない自信はあるかも。それよりもなによりも、全体的に40過ぎたら人生ずいぶん生きやすくなりましたしね。

とにかく、ここまで長々とこのブログを読んで頂きありがとうございます!
ウケ狙いもなんの落ちもない下りになりましたが、このブログを読んだ誰かが少しでも共感を得れたのなら幸いです。


*モラハラ(モラルハラスメント)とは、身体的な暴力ではなく、言動や態度といったモラルによる精神的な苦痛を相手に与える、DV(ドメスティックバイオレンス)の一種です。(引用元:https://ricon-pro.com

**アダルト・チルドレン(Adult Children:以下AC)とは、子どものころに、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そしておとなになった人たちを指します。子どものころの家庭の経験をひきずり、現在生きる上で支障があると思われる人たちのことです。それは、親の期待に添うような生き方に縛られ、自分自身の感情を感じられなくなってしまった人、誰かのために生きることが生きがいになってしまった人、よい子を続けられない罪悪感や、居場所のない孤独感に苦しんでいる人々です。(引用元:http://www.yamanashi.med.or.jp/tsuru/onepoint/onepoint17.htm

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