【東北地方太平洋沖地震】故郷も被災

ブログを更新しようと思ってた矢先、この大きな惨劇が起きてしました。そう、東北地方太平洋沖地震・大津波。あれから早くも3週間が過ぎようとしてます。ご存知の方も多いかもしれませんが、実は私の故郷岩手県宮古市も今回被災した町のひとつでした。まさか自分が生きてる間に、こんな大きな災害が起きてしまうとは夢にも思いませんでした。被災地の映像や写真を見る度、言葉を失うばかり。自分の生まれ育った町が残骸の山となってる姿。本当に心苦しいです。

改めてここで、災害で命を落とした方のご冥福をお祈りします。また家を失い避難所生活をしている皆さん、難を逃れても物資不足の生活を強いられてる皆さん。どのように言葉を添えてたら良いのか正直わかりません。皆さんが今経験してることは、計り知れない苦悩だから。震災に遭わなかった自分は、ただこれから復興がうまく行くことを願わずにいられない。本当にそれしかありません。ふるさとを思う者として、私ができることは出来る範囲内で支援していくことのみです。本当に頑張ってほしい。きっと道は長いけどいつか復興にめどは立ってくるはず。アメリカから応援してます!

ということで、今募金以外に私ができる事を模索中です。双子の子育てに追われてるから、前みたいに全力で奉仕できないけど、なにか出来ることはあるはず。とにかく、私もなにかしら力になりたいと思います。

最後に私事の報告ですが、私の家族は皆無事でした。亡くなった父がみんなを守ってくれたのかなって思ったりしてます。でも安否確認ができるまで、寝ても立っても居られない不安に駆られたのは事実。故郷の家族とのあらゆる通信手段が絶たれ、ただ待つのみしかなかった時、インターネットのありがたみをこれほど実感したことはありませんでした。友人はもちろんのこと、ネット上のコミュ二ティにどれだけ支えられたことか!本当にありがとうございます!私は本当に幸せ者です。ブログの読者及び、リアル友達に改めて感謝します。

原発の状況も依然目が離せない状況で、まだまだ不安がいっぱいな日本ですが、とにかく前進するしかないですね。

がんばれ、日本!

コメント

  1. しのぶ さんの発言:

    ご家族が無事とのことで、安心しました。
    宮古も壊滅的な被害を受けて、もう映像を見てもどこがどこだったのか、
    全く分からない状態になってしまいましたね・・・。
    山田や大槌は火が出たのでいっそう悲惨です・・・。
    ダンナの姉が当日大槌で働いていたのは知っていたので
    連絡が取れるまで胃がつぶれる思いでした。
    姉の家は流れてしまったけど、一家は全員無事で
    親族のうち、犠牲になったのは一人だけでした。
    「だけ」という言い方も変だけど、それほど多くの人が犠牲になったんですよね。
    今後、行方不明の人が生きて見つかるのはもう難しいだろうし、
    一人暮らしや一家全員が・・・、などで届け出が出されない人も多いので、
    最終的な犠牲者の数はスマトラに匹敵するような気もしています・・・。

    とにかく大変な事態になってしまいましたが
    アメリカの迅速過ぎるほど迅速な動きにも感動しています。
    震災の翌日、大船渡に何の連絡もなく米海軍のヘリが突然やってきて
    涙を浮かべた米兵たちが大量に
    食べ物(しかもとってもアメリカンなフード)を置いてったそうです。
    その場にいた全員が唖然としていたようだけど(笑)
    こういうルール違反なら大歓迎です(笑)。

    1. endunham さんの発言:

      しのぶさん、コメントありがとうございます。
      ご親戚の方、犠牲になられたのですね。ご冥福をお祈りします。

      そうですね、まだまだ行方不明者や身元不明な遺体が多いらしいですね。
      遺体の痛みが酷いから土葬にするとか聞きましたし、本当にまだ安否がわからない家族にとってはやるせないでしょうね。被災地は3週間経ってもまだ瓦礫のまま。もう3週間、まだ3週間。。。感じ方は、皆それぞれなのかもしれませんが、被災者の苦悩は今だ続いてるのが現実ですね。それを思うとしのびないです。

      震災の翌日、大船渡に何の連絡もなく米海軍のヘリが突然やってきて
      涙を浮かべた米兵たちが大量に
      食べ物(しかもとってもアメリカンなフード)を置いてったそうです。
      その場にいた全員が唖然としていたようだけど(笑)
      こういうルール違反なら大歓迎です(笑)。

      そういうエピソード、心が温まりますね。特に本土に居る者にとっては嬉しい。確かに助け合うという精神はこちらでよく実感します。ホントそんなルール違反いっぱいやって欲しいですね 😉

  2. Clara さんの発言:

    安否がわかるまでの息も止まりそうな不安、とってもよくわかりました。私も実家のある神戸が地震のときここにいました。ご家族がご無事で良かったです。

    1. endunham さんの発言:

      Claraさん、コメントありがとうございます。Claraさんもあの大地震の時、そんな体験をされてたのですね。
      当時はインターネットも普及してなかったでしょうから、さぞかし心労だったことでしょう。今の私では想像もつきません。モダンテクノロジーに慣れてしまうってある意味怖いですね。

  3. ぐらきゅう さんの発言:

    ご家族が無事で本当になりよりでした。
    困難な生活が続いていると思いますが、無事で良かった。それに尽きます。

    ご家族と連絡が取れるまでの気持ち、計り知れません。

    私は当日成田空港にいましたが、地震直後から電話は繋がらず、
    メールだけが頼りの綱でした。家族や友人の無事を確認するのも
    自分の安否を伝えるのも、メールだけが頼り。

    ブラックベリーが唯一のライフラインだったので、
    繋がるかわからない電話を4時間ダイヤルし続けて充電が無くなりかけた時は
    焦った…。コンセントさがすこと2時間。ラッキーにも充電を終えた人が
    立ち去るスポットを引き継ぎ、周りの人と電源をシェアしながら、
    避難用アイテムをもらいに行くのも周りの人と協力しながら一晩過ごしました。

    私も日本を離れていても長期に渡って支援ができないものかと思案中です。

    1. endunham さんの発言:

      ぐらきゅうちゃん、コメントありがとう!
      この間も連絡本当にありがとうね。

      それにしても、震災時成田だったんだ 😯
      それは大変だったね。空港で一晩かぁ。想像絶する不安感だったろうに。
      いや、ホントお疲れ様でした。無事かえってこれて本当に良かった!

      私も日本を離れていても長期に渡って支援ができないものかと思案中です。

      ホントだね。海外在住組みのできることって限られてるから歯がゆいけど、私もそう思うよ。なにか良いアイデアあったら教えてね 😉

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