はい、珍しく続けてブログの更新です。
前回の記事がなかなか好評でしてね。
予想以上にたくさんの方に読んでもらい、いろいろなコメントも個人的に頂いたのでもう嬉しくって!
滅多にそういうことないもんだから、ワタクシ調子に乗ってまた更新しております。
さて、今朝ツイッターで呟いたことがまたしても予想を反して、みなさんから反応してもらえました。
それがこれ↓
朝から吠えますが何度でも言いますよ。
親には育てる責任はあっても、子には親への借りなどない。
親は子の分身でもなければ、子は親の分身でもない。
子は子の人生を歩むべき。
親も自身の人生を歩むべき。
それが個々の人権の尊重ってもの。世の中ホント、これをわかってない人が多過ぎる。
— えっちゃん (@endunham) November 23, 2019
ということで、これについてちょっと書いてみます。
私の父については前回の記事で書いたので、詳しくはここでは書きませんが、私の父は子供達に恩を着せる人でした。「お前を育ててやったのだから、老後はお前に任せる。家を継ぐのはお前の義務である。」などと、子供達に子供の頃から言い聞かせ、それに反したコメントをすると、すごい形相で「親に対してそんなことを言うのか!誰のおかげで生活できると思ってるのか!」と怒鳴りちらすのが日常でした。
え?聞き覚えあるって?
そう、そうなんです。似た様なセリフやシーン、日本映画やドラマでも見聞きしたことありません?
そしてさらに、いろいろな人の話を聞くうち、実は私の父は珍しいわけでもなんでもなかったのですよ。そう、それが普通の日本の頑固親父の肖像であり、「親が苦労して子を育てたのでだから、子はその恩を返すのが当然である。それが親孝行。」というのが社会の中に浸透してるわけです。
え?それって普通でしょ?っていう人も読者の中にいると思います。確かに親孝行するのはいい事ですよ。でもそれを親が要求して精神的に圧力をかけるのは間違いです。子はただその圧力から逃げたがるだけ。結果的に親子関係がこじれるのは当然のことです。
日本は昔から家父長制度と世襲制が強く根づいた社会ですよね。「家」があり、子は「家」を継ぎ、親の老後の面倒を見るのが当然であるという社会的圧力があります。でもそれがいかに病的であるか、私は日本を出るまで気付きませんでした。いや正直、そこまで人間のメンタルを蝕むか、子供たちが生まれるまで気付きませんでした。
そもそも「子供の人権」が騒がれるようになったのもここ数年のことですよね。子は一個人であるというより、子は親の所有物のように扱われてます。つまり、子の意思とは別にやりたくない事をさせられたり、子のためと言って親は子をコントロールしようとします。そして、子がそれに反すれば精神的圧力をかける。これは明らかに子への依存です。子がメンタルを病むのは当然のことです。
私の母は昔から父とは真逆でした。「えっちゃんが嫌ならやらなくてもいいよ。えっちゃんがやりたい事をしていいからね。」と言ってくれました。そう言ってくれたおかげで、たぶん自分は自分が信じる道を歩んで来れたのだと思います。
ちなみに、私は義理両親に老後何かあったときは喜んで面倒をみたいと言ってます。でもよっぽどの事がない限り願いは叶いそうにありません。なぜなら彼らは私たち達の自由と権利を尊重し、また自分自身の自由と権利を尊重してるからです。つまり誰にも頼らず自力で自分の心地よい空間で自由に生きるという事を尊重しているのです。
人生の幸福は、知恵をつけ、自分で考え、誰にも依存することなく自由に生きることだと思います。だから依存する事は毒でしかないんですよ。それは親にとっても子にとっても。
だから何度でも言いますよ。しつこいくらいに言いますからね。
親は自分の人生を歩むべき。
子も自分の人生を歩むべき。
はい、ここまで長々とえっちゃん節を読んでくださりありがとうございましたー😊
【追記】老後の現実的な話、つまり経済力や家族の協力については、また別問題なので、ここでは深く言及しません。精神的依存がもたらす精神的ダメージについて書いただけですのでご理解ください。
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