父との和解

久々に真面目な内容の投稿です。
っていうのも、実はずーっとこのテーマを書きたかったんですよ。そう、ちょっと重い親子のテーマみたいなもの。ずーっと喉の奥に突っかかってたものだったので、自分の人生に向き合う意味でずっと書きたかったんです。

結論から言うと、今まで自分が抱えてた人生の生き辛さは親子関係が原因であり、それを認知し対処できるようになり、最近やっと安定し、幸福を心の底から感じれるようになったと言う事を書きたかったんですね。

私が言う「生き辛さ」とは、自己否定とネガティブ思考が根底にあり、常に自信が持てず、他人も信用できず、負のスパイラルに陥ってしまう事。つまり何か困難に躓いたとき、ネガティブ思考に陥り、そこから這い上がるまで時間がかかる生き辛さです。

それが頻著に酷かったのは、大学卒業後の就職難に陥った時、不妊治療で悩んだ時、そして産後鬱になった時でした。カウンセリングを受けたり、鬱などに関する本や記事を読んだりして、自分なりに対処の仕方を学んだわけです。

さて、なぜにあえてこうやって書きたい!と思えるようになったのか?それはあるエッセイに出会ったのがきっかけでした。そう、それがこれ↓

私、親子をやめました。「親と絶縁」して幸せになれた理由 —アルテイシア (マイナビウーマンより)

言っときますが、記事の題名だけ見て、「え?えっちゃん、親と絶縁したの?」なんて勘違いしないでくださいね。全く絶縁なんかしてませんよ。

とにかく先に記事を読んで頂きたいのですが、自分の生き辛さを明確に言語化してくれてる記事で、肩から力がストンと抜けるくらい納得いく内容だったんですね。そうか、やっぱり自分、ちょっと病んでたんだって。でもそれは自分のせいじゃ無かったんだって。

ってなことで、他人からしたらどーでもいい私の親子関係なるものを語ってみたいと思います。

当ブログをずっと読んでくださってる方ならお気づきでしょうが、私の父は12年前に他界しました。そして父とはあまりいい親子関係ではありませんでした。いや、もしかしたら父はそんな風に微塵も感じもせずに、あの世に行ってしまったかもしれません。

というのも、父の存在に悩まされたのは本人以外の家族だけでしたから。だって、母は癌闘病中の父を献身的に介護し、父が望むように最後を見届けましたしね。娘の私たちも表立って、テレビで観るような激しい対立や確執があったわけでもありません。長女の姉なんかは、父が癌と診断されてから実家近くに夫と住むようにもなりました。私も結婚した時でさえ、とりわけ反対されて親子の縁切りとかドラマチックな事があったわけでもありません。むしろ普通にすんなりと結婚も認めてくれたし、父もどうやらアメリカにいる自慢の娘と人にも言ってたらしいのです。

じゃあ、なぜにあまりいい親子関係ではないのか?それは私が長い間、父の存在に悩まされたからです。それは父が亡くなっても続きました。生前は母も姉たちも同じように悩まされました。父はいわゆる典型的な亭主関白でカンシャク持ち。近代日本では普通にある家父長制度を純粋に守った人でした。そして、いわゆる最近日本でもよく耳にするようになった「モラハラ*」をする人だったのです。

いや、そんなの日本じゃ普通じゃね?なんて思う人は多い事でしょう。むしろ普通過ぎてそれに気づいて無い人も多いかも。だって、つい最近までDV(=家庭内暴力)さえも認知度あまりなかったですしね。だから肉体的DVもなかったのに、親の事をこうやって悪く言うなんて酷い娘とも映るかもしれません。

とにかく、父は世間では明るく人当たりがとても良く、地域のためによくボランティアもする模範的な人でしたが、家庭では家族にモラハラを平気でする人でもあったんです。

そして、父のモラハラがピークを達したのが私が高校入学した頃でした。父と母の喧嘩が毎日絶えず、学校での成績が一気の降下し、以前にも当ブログ記事でも少し触れましたが、アメリカ留学への夢が断ち切られ、私にとってかなり辛い時期でもありました。その時の自分は、とにかく家を出たくて仕方ない!という精神状態であったんですね。

それから、関東で就職を決めやっと実家も出ても、その後夢であったアメリカ留学を果たしても、常に自分に自信なく、なんとなく生き辛さを感じ続けてました。そして夫と運命的な出会いをし結婚を果たしても、なぜか幸福を感じることが出来ず、可愛い息子たちが生まれても、あまりの育児の過酷さに産鬱になり、その後も常にダークサイドに落ちやすい自分がいたのです。

そんな中、鬱関連の書籍を読み漁るうち、アダルトチルドレン**という言葉を知りました。そして、自分はそのアダルトチルドレンだったのかと納得したわけですね。そして、ポジティブ思考の夫や義理家族の影響もあり、少しずつ自分がダークサイドに落ちた精神状態を認知・客観視し、ポジティブ思考にシフトして行けるようになりました。

そして、アルテイシアさんの記事に出会い、なんだかすっかり気持ちが軽くなったんですよね。面白い事に、父に対する気持ちの変化も起こりました。とにかく嫌いで仕方なく、たとえ少しでも良い面あってもそれを認めたくない自分がいたのですが、ここ最近では、子供の頃に見た父の笑顔や楽しい思い出が夢にまで出てくるようになったのです。

とはいえ、きっとこれはアルテイシアさんの記事だけが、変化をもたらしたわけではないかもしれません。今3人の子供達の親になり、子供達と毎日やりとりをする度にいろいろ考えさせられます。自分が経験した辛い思いを子供たちにさせたくないという願いが強いのは確か。同時に自分の親を客観視できるようにもなったという自分自身の変化も、大きく関連してるのかもしれませんね。

そして、冷静にこう考えるようになりました。父もきっと機能不全家族で育ち、モラハラがピークを迎えたあの時、彼も鬱状態だったのだろうなと。(事実、当時の父は長年勤めた会社を自主退職したばかりだったから。)

とにかく、そんな自分の気持ちの変化を私はこう勝手に呼んでます。

父との和解。

父が亡くなった時、母がこう言ってました。
「お父さんが息を引き取ったとき、なんかもう愛しくてね。抱きしめたくなったのよ。」と。
この言葉が今でも強く脳裏に残ってて、思い出す度になんとも言えない気持ちが湧き上がって来るんですね。

また、娘が引き出しにしまってある指輪を取り出して遊ぶ度に父を思い出すんです。それは母が若い頃に父からもらった指輪で、母が最近譲ってくれたものでした。「ほら、えっちゃん、小さい頃この指輪欲しいって言ってたでしょ?」って言いながら。子供ながらに二人の間にある「愛」というものを見て憧れたのかもしれません。

全ての子供は生まれた時から、両親には仲良しでいて欲しいと願ってます。たとえ子供がそう直接言わなくても、家庭は安心できる唯一の場所であるから、愛し合ってる両親を見て子供は心底安心できるんです。

だから父が母に送った指輪を見ながら幸せな気持ちになり、今やっと自分は安心できたのかなと思ったりもしてます。

これからこの先いろんな事が起こり、その度に落ち込んだりすることがあると思います。それでも対処の仕方を得た今、たぶん昔のような自分にならない自信はあるかも。それよりもなによりも、全体的に40過ぎたら人生ずいぶん生きやすくなりましたしね。

とにかく、ここまで長々とこのブログを読んで頂きありがとうございます!
ウケ狙いもなんの落ちもない下りになりましたが、このブログを読んだ誰かが少しでも共感を得れたのなら幸いです。


*モラハラ(モラルハラスメント)とは、身体的な暴力ではなく、言動や態度といったモラルによる精神的な苦痛を相手に与える、DV(ドメスティックバイオレンス)の一種です。(引用元:https://ricon-pro.com

**アダルト・チルドレン(Adult Children:以下AC)とは、子どものころに、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そしておとなになった人たちを指します。子どものころの家庭の経験をひきずり、現在生きる上で支障があると思われる人たちのことです。それは、親の期待に添うような生き方に縛られ、自分自身の感情を感じられなくなってしまった人、誰かのために生きることが生きがいになってしまった人、よい子を続けられない罪悪感や、居場所のない孤独感に苦しんでいる人々です。(引用元:http://www.yamanashi.med.or.jp/tsuru/onepoint/onepoint17.htm

コメント

  1. […] とにかく、こちらの映画もかなり胸にじ〜んと来る作品になってます。特に主人公がミスター・ロジャースと交流するうちに、心に変化が訪れ、人生の捉え方が変わって行くシーンが最近ブログにも書いた自分の心情にすごく似てて、号泣せずにいられませんでした。 […]

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