ワタクシ、ボランティアってけっこう好きなんです。
だって「自分が楽しんでできる事で誰かのために役立つ」って最高じゃありません?
ただ、最近いろんなことがあって、ちょっとボランティアの意義を深く考えてしまいました。つまり、ボランティアが楽しくなくなったら、やる意義ってあるのだろうか?そんな風に考えてしまう自分はいったい何者なんだろうか?それって、ちまたで言う「ボランティア精神」に反してるのだろうか?。。。みたいな、自問自答をしてしまいました。
私は、偽善が嫌いです。だから今までボランティアとしてやってきたタスクが重荷に変化し出すと、即気持ちが冷め切ってしまうんですね。っていうのも実は、プロとしての経験からアドバイスを言っても、結果的に耳を傾けてもらえず、自分の知らない間に物事が決まり、それはあなたのためにやったの。。。と言われたとき、とりあえず「ありがとう!」とは言ったものの、後々けっこう引っ掛かるものがあって、なんかつまんない!なんか冷めるな~。。。みたいな状況があったんです。いわゆる、組織内で誰もが経験するポリティックスですね。
この世の中、何事も問題が生じるときって、コミュニケーションのズレから生まれるのがほとんどです。感情を抜きに、そう物事を見直すと、まあ、ある程度ポジティブになれるんですが、一度あったコミュニケーションのズレをまた経験するのかと考えると、ボランティアではちょっと厳しいな~って思ったわけです。仕事だったら、これまた違いますよね。だって、報酬もらえるんだもん。そりゃあ、ポジティブにがんばるわな~って。
そんなこんな言いながら、学んだものは多いですから、誰かれが悪いなんてそりゃあ言えません。いや、この世の中、善悪で結果論を説いてしまっては、本質が見えなくなってしまいます。だから、ただ単にコミュニケーションがお互い足りなかっただけ、そういう風に受け止めるようにしてます。
一方、最近ハマってる「アドラー心理学」から言わせれば、もしかしたら自分の中ですでに終止符を打つ「目的」があったのかもしれませんね。だから、心にひっかかったのかも。そして、冷めた。。。じゃあ、「冷めてしまったからボランティアに終止符を打つ」というのはボランティアの意義に反するのか?おそらく、そう考える人はけっこういるかもしれません。でも、私はそうは思わない。少なくても自分が携わる分野のボランティアでは。。。これまた、「アドラー心理学」から言わせれば、ボランティアという行動は誰かのためにやってるのではないから。ただひたすら自分のためにやってる。そんな自己満足が動機で何が悪い?なーんて、食い入っちゃ~いけませんが(笑)
最後になりましたが、「アドラー心理学」について耳慣れない方は、ぜひ以下の参考サイトを見てくださいな。私は正直、目から鱗状態で、その関連本のひとつ「嫌われる勇気」を只今読書中です。これまで半分読破して、もうすっかりハマってます(笑)このアドラー心理学をベースにした育児本もあるので、自分にとっては最高の人生哲学というカンジですよー。
[…] 前の記事でちょっと紹介した本「嫌われる勇気—-自己啓発の源流『アドラー』の教え」(著・岸見 一郎, 古賀 史健:ダイヤモンド社)をやっと完読しましたー。 […]