デジタル断捨離してみて感じたこと

新年明けて、お気に入りのインテリアデザインのウェブマガジンで目についたのがこれ。

January Cure

記事を読むと”Cleaning”とか”Decluttering”とか頻繁に出てくるんで、どうやら最近の日本で言う「断捨離」のことなのかな?でも捨てる・片付けるがメインっぽいから「整理整頓」の方が正しいのかも?
日本では家の大掃除って12月だけど、こっちでは長いホリデーシーズン終了後の1月が一般的なんでしょうかね。

とにかく私も年末・年始はクリスマスツリーを片付けながら、再び地下室から子供のおもちゃ箱まで「断捨離」してました。そして今やっとのこと、ずーっと気になってた「デジタル断捨離」も終えたところ。

この「デジタル断捨離」、たぶんウェブサービスやパソコン内のお掃除で、たぶんデバイス&ネット絶ちも含んで意味するのでしょうね。でも私の場合、今まで放置してたウェブサービスのアカウントやコンタクト数を一掃、そしてパソコン内の使ってないソフトウェアをアンインストールする程度で終わりました。

終わってみて凄くすっきり!心機一転でかなり気持ちよいですが、ひとつだけ少し考えてしまいました。ソーシャルメディアサイトのFacebookとMixiですが、いわゆるフレンドを切り捨てるのって、なんとも言えない心の突っかえ感が残りません?つまり、一度挨拶交わしただけで会ってもネット交流もしてない人、ただ単にネットで一度だけ会話した人たちにおさらばしたわけですが、私は罪悪感的な変な気持ち悪さが残りました。でも同時に、実態のない希薄なそういった繋がりがなんとなくすっきりしないのも正直なところ。

そもそもSNS上の「フレンド」って何だろうってたまに考えたりします。SNSデビュー当時、そんなリア充じゃなかったその昔、ブログの延長線でもあるSNS上での出会いに新鮮味があったのは確か。でも、今はほとんど出会いなんて求めないし、投稿さえもあまりしなくなったなって。誰かと話したければ、メールするか会っておしゃべりすれば良いわけですしね。遠くにいる友達と写真を共有したり、近況をちらっと確認したりできるツールでありますから、この「フレンド」はやっぱり「交流続行中の友人」だけで良いかなって思うんです。芸能人やビジネスで使われてる昨今、マーケティング色が色濃くなってるわけで、個人レベルでは仕事で自分を売り込まなくちゃいけない限り、そんな実態のない「フレンド」というものに気兼ねをするのも変な話ですよね。だから「フレンド」というものを切り捨てる事へのモヤモヤ感は、なんとなく腑に落ちません。

結局はネット上の繋がりで、顔を会わせることがあるわけでもない。相手は数百、はたまた数千と「フレンド」がいるわけですから、たった一人私が消えても気づきもしないでしょう。要は私がナイーブなだけなのかなって思いなおしたら、このモヤモヤ感も少しフェードアウトしてきてるかも。人は自分と同じように考えてるわけじゃないから、とにかく気にしないのが一番なのかな。

それにしても、(実際顔を会わせたか、もしくはネットのみ)ある期間軽く交流したもの、その後交流が何年も途絶えた人たち。彼らを「フレンド」のままにするか否か、その辺少しだけ考えてしまいました。まあ、とりわけ支障があるわけじゃないし、それ以前に自分がほとんど投稿しないから、別にそんな拒絶する必要もないし、これから起こり得る再交流の可能性を閉ざす必要もないですが。。。

「SNSなんて、余計な悩みを増やすだけ。」なんてあっさり言う反SNS派の家人。
それもそれでかなり正論かなと思った今回のデジタル断捨離でした。