あのジェンキンズ氏インタビュー(1)
- 10 / 24
- 月
- 2005
CBSテレビのニュースマガジン番組“60 minutes”については、何度もブログ上で触れてます。この番組は、私の大好きな番組で毎週日曜日の夜7時(東部時間)に放送されており、絶対に逃した事がないくらい大ファンなわけです。
で、昨日の“60 minutes”で日本中で注目の的であった拉致被害者・曽我ひとみさんの旦那さんであるチャールズ・ロバート・ジェンキンズさんのインタビューが放送されたんです。今まで米国ではTime誌でインタビューが掲載されたぐらいで、彼の存在がメディアに取り上げられた事は殆ど無かったと思います。(←私の知る限りですが。)確か、彼が日本中で話題になってた頃、私は密かに“60 minutes”で彼の事が取材されないかな〜と願ってました。この手の、言わばアメリカのメインメディアが取り上げもしない話題は、“60 minutes”はお得意ですから。だから、昨日は嬉しさと興味でいっぱいだったわけです。
今回頑張ってこの3ページに渡るインタビュー記事「脱走兵、北朝鮮の地獄を思い出す」(原題:Deserter Recalls N. Korean Hell)を翻訳してみます。未熟な日本語翻訳で申し訳無いですが、今日は1ページのみ掲載します。明日は、2ページを。時間があれば、3ページもいっしょに掲載したいところですが。
1965年、アメリカ兵チャールズ・ロバート・ジェンキンズ氏は理解し難いある事をしてしまったのだ。彼は、北朝鮮へ脱走し、そしてそこで身動き出来なくなった。
39年6ヶ月と4日間、彼は奇怪な共産主義国家によって追い込まれたのだ。それは飢餓、苦痛、また生活の仕方や読むべき書物そして性行為まで全て国家によって定められた事であった。これはアメリカ史上例に無い、一人のアメリカ人が隠された北朝鮮国で長い歳月を行き抜き、そしてそこから脱出した話である。(取材インタビュアー:スコット・ペリー)
ジェンキンズ氏が軍任務から脱走した時、本質的に世界から取り残されたのだ。彼は、40年もの間車を運転する事は無かった。マクドナルドの「ビックマック」も知らなかった。この番組「60ミニッツ」(“60 minutes”)など聴いた事は無かったが、ライフマガジン(”Life Magazine”:1972年週刊誌としての発行を中止)に彼の記事が掲載される事を願っていた。
ロバート・ジェンキンズ氏は、一夜で危険地帯横断から悪夢に変わってしまったアメリカ人「浦島太郎」的な話を語り始めた。
ジェンキンズ氏:
「今思い直してみると、私はバカだった。もし天国に神がいるのなら、彼があの悪夢を耐え抜きさせてくれたのです。」ペリー:
「ロバート、たとえ神が天にいても、あなたは結局地獄に居たわけですよね。」「そのとおり。私は処罰を与えられたのです。」とジェンキンズ氏は、彼のルーツであるノースカロライナを見せながらゆっくりと答えた。彼は貧しい大家族で育った。
ジェンキンズ氏は、高校を退学し軍隊に参加した。1964年、北朝鮮と韓国間の国境線へ第二パトロール遠征として参加した。
彼は軍曹であり隊長であったが、北朝鮮へ脱走する事をずっと考えていたのだ。気温零度以下のある夜、10本のビールに酔いしれて最後のパトロールへ部下を連れて出かけた。「部下達へ『何か物音に気づいたので、すぐ戻る』と言った。私は、行ってチェックしてくるつもりだった。そして部下達を残し、北へと歩き始めた。」とジェンキンズ氏は語り、そして今彼は自分が部隊を取り残したのだと認識している。
ペリーが「もし、今その時の部隊の部下達がこのインタビューを見ていたら、何と彼らに言いますか?」と訊き、ジェンキンス氏は、「彼らに対し申し訳無い。彼らは、私によってこの任務を乗り越えるという誓いを持っていた。しかし、私は彼らを裏切った。」と答えた。
国境で恐ろしい、とても攻撃的で挑発的なパトロール任務を与えられたため、国と部隊を裏切ったとジェンキンズ氏は番組側に語った。その時、自分の部隊が更にベトナムに送られる可能性も聞かされていたのだ。
その代わりにその夜彼は北へ歩き続け、一人の驚き顔な北朝鮮兵に包囲された。その時、ジェンキンス氏は24歳であった。
ジェンキンス氏は、誤りを犯した事を知っていたと語る。「私は、人生で沢山の誤りを犯した。たぶん、この誤りは誰も犯さないであろう最悪の誤りであっただろう。」
ジェンキンス氏は、共産主義同情派なわけではなく、ただ北朝鮮がロシアに身柄を送り込み、アメリカと冷戦の何らかの取引としてアメリカへ帰還させてくれるだろうと想像していただけだと語った。また、それは小説にはいい構想ではあったが、私の頭にあった北朝鮮というものにはいい構想ではなかったとも語る。
ジェンキンズ氏は、北朝鮮が集めたアメリカ脱走兵の集団に参加した。その時すでに、3人のアメリカ脱走兵が北朝鮮に住み込んでいたのだ。彼は、ひとつの家でラリー・アブシャー、ジェリー・パリッシュ、そしてジェームス・ディレスノクと共に生活した。
「ディレスノクは、私に『君はここにいる。そして二度と離れる事無い。』と言ったのだ。」とジェンキンズ氏は語った。
故郷のノース・カロライナでは、母のパティと7人の姉妹兄弟達はアメリカ軍当局から一枚の電報を受け取っていた。
姉妹の一人パット・ハレルさんは、この電報を長い間ずっと保存していた。「チャ−ルズ・ロバート・ジェンキンスは、朝鮮で身の回りを残さず欠勤してると報告を受けてます。更なる情報があり次第、通知される事でしょう。」とパットさんはその電報を読み上げた。
その後、更なる情報は全く無かった。(次回エントリに続く)
458 Views


Trackback URL: