日系写真家マスミ・ハヤシ氏死去
- 08 / 19
- 土
- 2006
昨日に比べて少し気持ちが落ち着いたので改めて書きます。
8月17日木曜日、日系写真家マスミ・ハヤシ氏が死去されました。
クリ−ブラント在住の方なら周知の上でしょうが、彼女の死は隣人の拳銃発砲によってもたらされた悲劇です。誰も予想もしなかった彼女の死は、あまりにも突然過ぎました。その後、犯人は捕まり現在取調べ中とのことです。この犯人は、長い犯罪歴をもつ危険人物で、今回ハヤシ氏を含み二人殺害しました。犯人の動機は、ハヤシ氏に騒音がうるさいとの注意を受け、逆上してハヤシ氏に手持ちの拳銃で発砲したとの事です。もう一人の被害者は、ハヤシ氏を助けようとして被害に遭ったのです。
実は、ハヤシ氏は私の学生時代からの恩師です。3年間彼女のもとでスタジオのアシストをしました。恩師というより、殆ど友人のような存在でした。日系アメリカ人である事にこだわり、日本人の精神にもこだわり、日本文化をこよなく愛した方でした。私なんてただのアシスタントなのに、プライベートのことまで話題を共有してくれて、いつも友人でいてくれました。悲劇の二日前に私は彼女に会いました。いつもと変わらないミーティングで、新学期に向けてのウェブプロジェクトをいっしょに始めた矢先だったのです。
どうして殺さなければならなかったのかと怒りが込み上げてきますが、今は悲しみの方がかなり重く圧し掛かっている状態です。火曜日に彼女のスタジオを去る時、”See you later” (またね)って言って別れた瞬間と今までの思い出が頭を駆け巡っています。私に出来たことはあっただろうか?とも考えたりしました。全ては、終わってしまった事なのですが…。
以下彼女の略歴をDiscoverNikkei.orgから翻訳・引用させて頂きます。
マスミ・ハヤシ Masumi Hayashi
写真家 (1945-2006)1945年、マスミ・ハヤシ氏はアリゾナ州ヒラ・リバーに誕生、その後ロサンゼルスのワッツ区域で育ちました。少女時代、コンプトン通りにある両親が営む「ビレッジマーケット」で働いていました。ジョーダン・ハイスクール卒業、ベトナム戦争時代に海軍兵と結婚する前までUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に在籍していました。この期間彼女はアメリカ各地に移り住んでおり、グアム在住時に息子をもうけました。
フロリダ州立大学にて芸術修士号を取得後、オハイオ州クリーブラントにあるクリ−ブラント州立大学で写真科の教授に就き現在に至る。彼女の作品は、ロスアンゼルスカウンティ美術館、東京都写真美術館、ビクトリア&アルバート美術館(ロンドン)にて所蔵されています。彼女の展示会は広範囲な経歴をもち、最近ではクリ−ブラント美術館、ルッドウィグ美術館(ドイツ)、オレゴン日系レガシーセンター(オレゴン州ポートランド)、またビジュアルスタディワークショップ(ニューヨーク州ロチェスター)にて展示会を開催しました。
2003年、インド・ネパール作品においてハヤシ氏は、フルブライト奨学金を獲得しました。その上、奨学金と給付金資格者にオハイオ州芸術評議会を含む各団体(全国芸術基金、アートミッドウェスト、フロリダ州芸術評議会、クリーブランドビジュアルアワード、1997年度シビルリバティ教育財団研究奨学金制度)から任命されました。ハヤシ氏の写真は、「ダブルテイク」(DoubleTake)、「アパチャ−」(Aperture)、「シー」(See)、そして「マザージョーンズ」(Mother Jones)を含む著名な雑誌や機関誌に幅広く掲載されています。
来週に彼女を惜しむ会、メモリアルサービスが催される予定です。
また、彼女の作品はウェブサイトで閲覧できます。
The Masumi Hayashi Museum
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endunhamさん、とても御辛い時でしょう。。言葉が見つからないのですが、、マスミ・ハヤシ氏にお悔やみ申し上げます。
akiさん、お久しぶりです。
元気でいらっしゃいました?
最近忙しいそうですね。
私は、やっとなんとか気持ちにpeaceがやってきたところです。まだ、ご家族にはお会いしてないのですが、自分の中では気持ちの整理ができてきたかと思います。本当にお気遣いの言葉に感謝してます。
彼女は、カナダの日本人強制収容所も撮影しましたので、カナダには何らかのゆかりがあると思いますよ。これから、世界中でメモリアルショーが開催されると予想しますので、バンクーバーでもありましたら是非足を運んで見てくださいね。